・・・十三日名古屋市の大火は焼死者十余名に及んだが、横関名古屋市長なども愛児を失おうとした一人である。令息武矩はいかなる家族の手落からか、猛火の中の二階に残され、すでに灰燼となろうとしたところを、一匹の黒犬のために啣え出された。市長は今後名古屋市・・・ 芥川竜之介 「白」
或夏の夜、まだ文科大学の学生なりしが、友人山宮允君と、観潮楼へ参りし事あり。森先生は白きシャツに白き兵士の袴をつけられしと記憶す。膝の上に小さき令息をのせられつつ、仏蘭西の小説、支那の戯曲の話などせられたり。話の中、西廂記・・・ 芥川竜之介 「森先生」
・・・この祖父は、壮年の頃は横浜で、かなりの貿易商を営んでいたのである。令息の故新之助氏が、美術学校へ入学した時にも、少しも反対せぬばかりか、かえって身辺の者に誇ってさえいたというほどの豪傑である。としとって隠居してからでも、なかなか家にじっとし・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・西洋音楽は自分では分らないと云っていたが、音楽に堪能な令息恭雄氏の話によると相当な批判力をもっていたそうである。 運動で鍛えた身体であったが、中年の頃赤痢にかかってから不断腸の工合が悪かった。留学中など始終これで苦しみ通していた。そのせ・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・家厳が力をつくして育し得たる令息は、篤実一偏、ただ命これしたがう、この子は未だ鳥目の勘定だも知らずなどと、陽に憂てその実は得意話の最中に、若旦那のお払いとて貸座敷より書附の到来したる例は、世間に珍しからず。 人の智恵は、善悪にかかわらず・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫