・・・明日の授受が済むまでは、縦令永年見慣れて来た早田でも、事業のうえ、競争者の手先と思わなければならぬという意識が、父の胸にはわだかまっているのだ。いわば公私の区別とでもいうものをこれほど露骨にさらけ出して見せる父の気持ちを、彼はなぜか不快に思・・・ 有島武郎 「親子」
・・・そんなら、この処に一人の男(仮令があって、自分の神経作用が従来の人々よりも一層鋭敏になっている事に気が付き、そして又、それが近代の人間の一つの特質である事を知り、自分もそれらの人々と共に近代文明に醸されたところの不健康な状態にあるものだと認・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・椿岳には小さいながらも椿岳独自の領分があって、この領分は応挙や探幽のような巨匠がかつて一度も足を踏入れた事のない処女地であった。縦令この地域は狭隘であり磽であっても厳として独立した一つの王国であった。椿岳は実にこの椿岳国という新らしい王国の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・劇作家または小説家としては縦令第二流を下らないでも第一流の巨匠でなかった事を肯て直言する。何事にも率先して立派なお手本を見せてくれた開拓者ではあったが、決して大成した作家ではなかった。 が、考証はマダ僅に足を踏掛けたばかりであっても、そ・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・文人は文人として相当に生活できる。仮令猶お立派に門戸を張る事が出来なくとも、他の腰弁生活を羨むほどの事は無い。公民権もある、選挙権もある。市の廓清も議院の改造も出来る。浮世を茶にせずとも自分の気に入るように革新出来ぬ事は無い。文人の生活は昔・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ だが、実をいうと二葉亭は舞台監督が出来ても舞台で踊る柄ではなかった。縦令舞台へ出る役割を振られてもいよいよとなったら二の足を踏むだろうし、踊って見ても板へは附くまい。が、寝言にまでもこの一大事の場合を歌っていたのだから、失敗うまでもこ・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・此れに反し、縦令形体はなくとも作者の主観なり神経なりが通って居ればそれは現実である。故に一人に対して現実に触れて居るとか触れて居ないとかいう事を眼に見えると否とに依って云々する事は甚だ不合理の事であって、人間のセンチメント、即ち作者の神経、・・・ 小川未明 「絶望より生ずる文芸」
・・・或夜のこと、それは冬だったが、当時私の習慣で、仮令見ても見ないでも、必ず枕許に五六冊の本を置かなければ寝られないので、その晩も例の如くして、最早大分夜も更けたから洋燈を点けた儘、読みさしの本を傍に置いて何か考えていると、思わずつい、うとうと・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・ いや出来ようが出来まいが、何でも角でも動かねばならぬ、仮令少しずつでも、一時間によし半歩ずつでも。 で、弥移居を始めてこれに一朝全潰れ。傷も痛だが、何のそれしきの事に屈るものか。もう健康な時の心持は忘たようで、全く憶出せず、何となく痛・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・然し現在の母が子の抽斗から盗み出したので、仮令公金であれ、子の情として訴たえる理由にはどうしてもゆかない。訴たえることは出来ず、母からは取返えすことも出来ないなら、窃かに自分で弁償するより外の手段はない。八千円ばかりの金高から百円を帳面で胡・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫