・・・の記事によれば、当日の黄塵は十数年来未だ嘗見ないところであり、「五歩の外に正陽門を仰ぐも、すでに門楼を見るべからず」と言うのであるから、よほど烈しかったのに違いない。然るに半三郎の馬の脚は徳勝門外の馬市の斃馬についていた脚であり、そのまた斃・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・今まで太陽を仰ぐことが出来たのは己の慈悲だと思うがいい。B それは己ばかりではない。生まれる時に死を負って来るのはすべての人間の運命だ。男 己はそんな意味でそう云ったのではない。お前は今日まで己を忘れていたろう。己の呼吸を聞かずにい・・・ 芥川竜之介 「青年と死」
・・・雲のごとき智者と賢者と聖者と神人とを産み出した歴史のまっただ中に、従容として動くことなきハムレットを仰ぐ時、人生の崇高と悲壮とは、深く胸にしみ渡るではないか。昔キリストは姦淫を犯せる少女を石にて搏たんとしたパリサイ人に対し、汝らのうち罪なき・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・』『それを積み重ねて、高い、高い、無際限に高い壁を築き上げたもんだ、然も二列にだ、壁と壁との間が唯五間位しかないが、無際限に高いので、仰ぐと空が一本の銀の糸の様に見える』『五間の舞台で芝居がやれるのか?』『マア聞き給え。その青い・・・ 石川啄木 「火星の芝居」
・・・ 鉈豆煙管を噛むように啣えながら、枝を透かして仰ぐと、雲の搦んだ暗い梢は、ちらちらと、今も紫の藤が咲くか、と見える。 三「――あすこに鮹が居ます――」 とこの高松の梢に掛った藤の花を指して、連の職人が、い・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 翁が仰ぐと、「あら、そんなでもありませんわ。ぽっぽ。」 と空でいった。河童の一肩、聳えつつ、「芸人でしゅか、士農工商の道を外れた、ろくでなしめら。」「三郎さん、でもね、ちょっと上手だって言いますよ、ぽう、ぽっぽ。」・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・が、少年の筆らしくない該博の識見に驚嘆した読売の編輯局は必ずや世に聞ゆる知名の学者の覆面か、あるいは隠れたる篤学であろうと想像し、敬意を表しかたがた今後の寄書をも仰ぐべく特に社員を鴎外の仮寓に伺候せしめた。ところが社員は恐る恐る刺を通じて早・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・『我は小説家たるを栄とす』と声言したのは小説家として立派に生活するを得る場合に於て意味もあり権威もあるので、若し小説家がいつまでも十八世紀のグラッブ・ストリートの生活を離るゝ能わずして一生慈善家の糧を仰ぐべく余儀なくさるゝならば、『我は小説・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・止むなくんば道々乞食をして帰るのだが、こうなってもさすがにまだ私は、人の門に立って三厘五厘の合力を仰ぐまでの決心はできなかった。見えか何か知らぬがやっぱり恥しい。そこで屋台店の亭主から、この町で最も忙しい商店の名を聞いて、それへ行って小僧で・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・すら通読していなかった私は、あわてて西鶴を読みだし、スタンダールについでわが師と仰ぐべき作家であることを納得した。 私は「世間胸算用」の現代語訳を試み、昨年は病中ながら「西鶴新論」という本を書いた。西鶴の読み方は、故山口剛氏の著書より多・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
出典:青空文庫