・・・ 大方はすゝきなりけり秋の山 伊豆相模境もわかず花すゝき 二十余年前までは金紋さき箱の行列整々として鳥毛片鎌など威勢よく振り立て振り立て行きかいし街道の繁昌もあわれものの本にのみ残りて草刈るわらべの小道一筋を除きて外は草・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・る巫女が袖雉鳴くや草の武蔵の八平氏三河なる八橋も近き田植かな楊州の津も見えそめて雲の峰夏山や通ひなれたる若狭人狐火やいづこ河内の麦畠しのゝめや露を近江の麻畠初汐や朝日の中に伊豆相模大文字や近江の空もたゞならね・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・しかしあんまり閉口だから、二月にでもなったら、伊豆の伊東に安い宿屋を聞いたからゆっくり温泉に入りに出かけたいと思います。私の心配するのは眼のことだけよ。こういう風にのそのそしている内に、視神経が萎縮を起したら大変だと思います。もしかしたら年・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・温暖な地方は共通なものと見えてその小道にしげっている羊歯の生え工合などが伊豆の山道を思いおこさせた。季節であればこのこみちにもりんどうの花が咲いたりするだろうか。 農家のよこ道を通りすぎたりして、人目がくれのその小道は、いつか前方になだ・・・ 宮本百合子 「琴平」
・・・ 手紙は私の留守にフダーヤが伊豆に出かけたこと、あまり愉快でなかったこと、特に宿屋の隣室に変な一組がいて悩殺されたことなどを知らした。彼女は、腕白小僧のような口調でそれ等の苦情をいっている。私は、彼女の顔つきを想像し、声に出ない眼尻の笑・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・ コートを着、宿の白革鼻緒の貸し下駄を穿いて、坂をのぼり、村なかをぶらぶら歩いた。轍の跡なりに凍った街道が薄ら白く延びて人影もない。軒に国旗がヒラヒラ。 伊豆蜜柑を買おうと八百屋へ行った。雨戸を一枚だけ明けた乾物臭い暗い奥から、汚れ・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
・・・徳川将軍は名君の誉れの高い三代目の家光で、島原一揆のとき賊将天草四郎時貞を討ち取って大功を立てた忠利の身の上を気づかい、三月二十日には松平伊豆守、阿部豊後守、阿部対馬守の連名の沙汰書を作らせ、針医以策というものを、京都から下向させる。続いて・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「僕がいま一番尊敬しているのは、僕の使っている三十五の伊豆という下級職工ですよ。これを叱るのは、僕には一番辛いことですが、影では、どうか何を云っても赦して貰いたい、工場の中だから、君を呼び捨てにしないと他のものが、云うことを聞いてはくれ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・彼が伊豆堀越御所を攻略して、伝統に対する実力の勝利を示したのは、延徳三年すなわち加賀の一向一揆の三年後であった。やがて明応四年には小田原城を、永正十五年には相模一国を征服した。ちょうどインド航路が打開され、アメリカが発見されて、ポルトガル人・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・の輝かしい記録である。伊豆の海岸。江戸。京、大阪。長崎。奈良。北京。徐州。洛陽。(ここで彼は東洋人になる。東京の裏街で昔の江戸の匂いを嗅これらの郷土の風景と住民と芸術との一切が、ここにはあたかも交響楽に取り入れられた数知れぬ音のようにおのお・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫