・・・この人の顔さえ定かならぬ薄暗い室に端座してベロンベロンと秘蔵の琵琶を掻鳴らす時の椿岳会心の微笑を想像せよ。恐らく今日の切迫した時代では到底思い泛べる事の出来ない畸人伝中の最も興味ある一節であろう。 椿岳の女道楽もまた畸行の一つに数うべき・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・緑雨は恐らく最後のシャレの吐き栄えをしたのを満足して、眼と唇辺に会心の“Sneer”を泛べて苔下にニヤリと脂下ったろう。「死んでまでも『今なるぞ』節の英雄と同列したるは歌曲を生命とする緑雨一代の面目に候」とでも冥土から端書が来る処だった。・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・十四歳から十七、八歳までの貸本屋学問に最も夢中であった頃には少なくも三遍位は通して読んだので、その頃は『八犬伝』のドコかが三冊や四冊は欠かさず座右にあったのだから会心の個処は何遍読んだか解らない。信乃が滸我へ発足する前晩浜路が忍んで来る一節・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・徹頭徹尾会心の書というものはあるものではない。 私の場合でいえば、リップスの倫理学も私には充全な満足を与えてはくれなかった。かえって倫理学というものの限界と、失望とを私に与えた。私はこの書を反復熟読し、それを指導原理として私の実践生活を・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・またこれを読んで会心の笑みをもらす人は、またきっとうらやむべく頭の悪い立派な科学者であろう。これを読んで何事をも考えない人はおそらく科学の世界に縁のない科学教育者か科学商人の類であろうと思われる。・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・このような科学者と芸術家とが相会うて肝胆相照らすべき機会があったら、二人はおそらく会心の握手をかわすに躊躇しないであろう。二人の目ざすところは同一な真の半面である。 世間には科学者に一種の美的享楽がある事を知らぬ人が多いようである。・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・何か少し込み入った事について会心の説明をするときには、人さし指を伸ばして鼻柱の上へ少しはすかいに押しつける癖があった。学生の中に質問好きの男がいて根掘り葉掘りうるさく聞いていると、「そんなことは、君、書いた当人に聞いたってわかりゃしないよ」・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・額のかかっている応接間まで歩いて来られ、ラグーザ玉子が、老年なのに心から絵に没頭していて質素な生活に安らいでいることや、孝子夫人の心持をよろこんで、会心の作をわけたことを快よさそうに語られた。 ラグーザ玉子の画境は、純イタリー風で、やや・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・ 番頭がそう云って隠居の部屋へ挨拶に行く毎に、海老屋の年寄りは会心の笑を洩していたのである。 まったくおきまり通りになって来るわえ……。 年寄りの心には、ちょうど藪かげに隠れて、落しにかかる獣を待っている通りな愉快さが一杯になっ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫