・・・と、にッこり会釈し、今奥へ行こうとする吉里の背後から、「花魁、困るじゃアありませんか」「今行くッたらいいじゃアないか。ああうるさいよ」と、吉里は振り向きもしないで上の間へ入ッた。 客は二人である。西宮は床の間を背に胡座を組み、平田は・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・左れば悪疾の妻は会釈なく離縁しながら、夫に悪疾あれば妻に命じて看護せしめんとするか。ます/\解す可らず。我輩は屹と其理由を聞かんと欲する者なり。第六多言にて慎みなく云々は去ると言う。此条漠然として取留なし。要するに婦人がおしゃべりなれば自然・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・仮令い或は其一方が真実打解けて親まんとするも、先方の心に何か含む所あるか、又は含む所あらんと推察すれば、何分にも近づき難きが故に、俗に言う触らぬ神に祟なしの趣意に従い、一通りの会釈挨拶を奇麗にして、思う所の真面目をば胸の中に蔵め置くより外に・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 三年担任の武村先生も一寸私に頭を下げて、それから校長に会釈して教員室の方へ出て行きました。 校長さんの狐は下を向いて二三度くんくん云ってから、新らしく紅茶を私に注いでくれました。そのときベルが鳴りました。午后の課業のはじまる十分前・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・ 異教徒席の中からせいの高い肥ったフロックの人が出て卓子の前に立ち一寸会釈してそれからきぱきぱした口調で斯う述べました。「私はビジテリアン諸氏の主張に対して二個条の疑問がある。 第一植物性食品の消化率が動物性食品に比して著しく小・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ どんな僅かの機会でも、決して見逃すことのない彼女は、幾分かの利益が得られそうだとなると、どんな手段でも策略でも遠慮会釈なくめぐらして、どうにでもしまいには勝つ。 まるで思いがけないような難題を考えたり、云いがかりを作ることは、彼女・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・黙って頤で会釈するのもある。どの顔も蒼ざめた、元気のない顔である。それもそのはずである。一月に一度位ずつ病気をしないものはない。それをしないのは木村だけである。 木村は「非常持出」と書いた札の張ってある、煤色によごれた戸棚から、しめっぽ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・それは余計な御会釈でございますわ。やっぱり二頭曳を雇って来て戴きましょう。そういたすとわたくし今になってはどんな静かな、軟い二頭曳でも役に立たなくなっていると云うことを、あなたにお見せ申しますから、あなたもそのおつもりでお附合いなさいますよ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・と答えて、軽く会釈して、男は出て行った。 エルリングというのは古い、立派な、北国の王の名である。それを靴を磨く男が名告っている。ドイツにもフリイドリヒという奴僕はいる。しかしまさかアルミニウスという名は付けない。この土地はおさんにインゲ・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・彼はうなだれたままその足に会釈しました。せいぜい見るのは腰から下ですが、それだけ見ていてもその足の持ち主がどんな顔をしてどんなお辞儀をして彼の前を通って行くかがわかるのです。ある人はいかにも恐縮したようなそぶりをしました。ある人は涙ぐむよう・・・ 和辻哲郎 「土下座」
出典:青空文庫