・・・さらにまた伝うる所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けながら、夜中刑場に飛んでいたと云う。これもそう無性に喜ぶほど、悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である。・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・ あッという声がして、女中が襖をと思うに似ず、寂莫として、ただ夫人のものいうと響くのが、ぶるぶると耳について、一筋ずつ髪の毛を伝うて動いて、人事不省ならんとする、瞬間に異ならず。 同時に真直に立った足許に、なめし皮の樺色の靴、宿を欺・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 真偽のほどは知らないが、おなじ城下を東へ寄った隣国へ越る山の尾根の談義所村というのに、富樫があとを追って、つくり山伏の一行に杯を勧めた時、武蔵坊が鳴るは滝の水、日は照れども絶えずと、謡ったと伝うる(鳴小さな滝の名所があるのに対して、こ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ ある秋の半ば、夕より、大雷雨のあとが暴風雨になった、夜の四つ時十時過ぎと思う頃、凄じい電光の中を、蜩が鳴くような、うらさみしい、冴えた、透る、女の声で、キイキイと笑うのが、あたかも樹の上、雲の中を伝うように大空に高く響いて、この町を二三・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・「短刀で、こ、こことここを、あっちこっち、ぎらぎら引かれて身体一面に血が流れた時は、……私、その、たらたら流れて胸から乳から伝うのが、渇きの留るほど嬉しかった。莞爾莞爾したわ。何とも言えない可い心持だったんですよ。お前さんに、お前さんに・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・下りると、すっと枝に撓って、ぶら下るかと思うと、飜然と伝う。また一羽が待兼ねてトンと下りる。一株の萩を、五、六羽で、ゆさゆさ揺って、盛の時は花もこぼさず、嘴で銜えたり、尾で跳ねたり、横顔で覗いたり、かくして、裏おもて、虫を漁りつつ、滑稽けて・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・…… と、御手洗は高く、稚児は小さいので、下を伝うてまわりを廻るのが、さながら、石に刻んだ形が、噴溢れる水の影に誘われて、すらすらと動くような。……と視るうちに、稚児は伸上り、伸上っては、いたいけな手を空に、すらりと動いて、伸上っては、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・女がひょいと顔をそらして廂へうつむくと、猫が隣りから屋根づたいに、伝うのです。どうも割合に暑うごすと、居士は土耳古帽を取って、きちんと畳んだ手拭で、汗を拭きましたっけ。……」 主人も何となく中折帽の工合を直して、そしてクスクスと笑った。・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・それが咲乱れた桜の枝を伝うようで、また、紅の霞の浪を漕ぐような。……そして、少しその軋む音は、幽に、キリリ、と一種の微妙なる音楽であった。仲よしの小鳥が嘴を接す時、歯の生際の嬰児が、軽焼をカリリと噛む時、耳を澄すと、ふとこんな音がするかと思・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・ 円福寺に伝うる椿岳の諸作の中で最も見るべきものは方丈の二階の一室の九尺二枚の大襖である。図は四条の河原の涼みであって、仲居と舞子に囲繞かれつつ歓楽に興ずる一団を中心として幾多の遠近の涼み台の群れを模糊として描き、京の夏の夜の夢のような・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫