・・・りは小生一個の希望――文学に対する註文を有体に云うと、今日の享楽主義又は耽美主義の底には、沈痛なる人生の叫びを蔵しているのを認めないではないが、何処かに浮気な態度があって昔の硯友社や根岸党と同一気脈を伝うるのを慊らず思ってる。咏嘆したり長し・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・のことである、地も亦神の有である、是れ今日の如くに永久に神の敵に委ねらるべき者ではない、神は其子を以て人類を審判き給う時に地を不信者の手より奪還して之を己を愛する者に与え給うとの事である、絶大の慰安を伝うる言辞である。 饑渇く如く義を慕・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・若し、その人を忘れずに、記念せんとならばその人が、生前に為しつゝあった思想や、業に対して、惜しみ、愛護し、伝うべきであると。 まことに、詩人たり、思想家たる人の言葉にふさわしい。 誰か、人生行路の輩でなかろうか。まさにその墓は、一寸・・・ 小川未明 「ラスキンの言葉」
・・・眼の奥がじーんと熱くなり、そして、かつての落語家の頬をポトリと伝う涙は、この子の母親になる筈の自分の妻と、そしてこの子のきょうだいになる筈の自分の子を、明日はどこへ探しに行けば良いのかという頼り無さだった。 夜が明けると、赤井はミネ子と・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・「線路を伝うて歩いて来ましてん。六時間掛りました。泊めて貰へんと思いましたけど……」時計が夜中の二時を打った。「泊めんことがあるものか。莫迦だなア。電車賃のある内にどうしてやって来なかったんだ」「へえ。済んまへん」「途中大和・・・ 織田作之助 「世相」
・・・愛児を失いし人は始めて死の淵の深きに驚き悲しむと言い伝う、わが知れる宗教家もしかいえり。こは誤感のみ。かれが感ずるは死にあらず、別れなり。その哀しみは死を悲しむにあらず、別れを悲しむなり。死は形のみ、別れは実なり。たれか愛と永久の別れと両立・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・土地の人これを重忠の鬢水と名づけて、旱つづきたる時こを汲み乾せば必ず雨ふるよしにいい伝う。また二つ岩とて大なる岩の川中に横たわれるあり。字滝の上というところにかかれる折しも、真昼近き日の光り烈しく熱さ堪えがたければ、清水を尋ねて辛くも道の右・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・浴後の茶漬も快く、窓によれば驟雨沛然としてトタン屋根を伝う点滴の音すゞしく、電燈の光地上にうつりて電車の往きかう音も騒がしからず。こうなれば宿帳つけに来し男の濡れ髪かき分けたるも涼しく、隣室にチリンと鳴るコップの音も涼しく、向うの室の欄干に・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・猫がよくこれを伝うて隣の屋根に上るのである。庭へは時々近辺の子供が鬼ごっこをしながら乱入して来ては飯焚の婆さんに叱られている。多く小さい男の子であるが、中にいつも十五、六の、赤ん坊を背負った女の子が交じっている。そしてその大きい目から何から・・・ 寺田寅彦 「雪ちゃん」
・・・いろんな事を考えて夜着の領をかんでいると、涙が目じりからこめかみを伝うて枕にしみ入る。座敷では「夜の雨」をうたうのが聞こえる。池の竜舌蘭が目に浮かぶと、清香の顔が見えて片頬で笑う。 この夜すさまじい雷が鳴って雨雲をけ散らした。朝はすっか・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
出典:青空文庫