・・・すなわち彼には、人間の偉大に関する伝習的迷信がきわめて多量に含まれていたとともに、いっさいの「既成」と青年との間の関係に対する理解がはるかに局限的であった。そうしてその思想が魔語のごとく当時の青年を動かしたにもかかわらず、彼が未来の一設計者・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・特にワグマンについて真面目に伝習したとは思われないが、ブラシの使い方や絵具の用法等、洋画のテクニックの種々の知識を教えられた事はあるようだ。明治八、九年頃の画家番附に淡島椿岳の上に和洋画とあるのを以て推すと、洋画家としてもまた相応に認められ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・Huyghens, Young が微粒子説を打破したのもファラデーが action at a distance を無視したのでも、アインスタインが時と空間に関する伝習的の考えを根本から引っくり返して相対率原理の基礎を置いたのでも、いずれにし・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・ 津田君といえども伝習の羈絆を脱却するのは困難である。あるいは支那人や大雅堂蕪村やあるいは竹田のような幻像が絶えず眼前を横行してそれらから強い誘惑を受けているように見える。そしてそれらに対抗して自分の赤裸々の本性を出そうとする際に、従来・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・その語彙の中に連想と暗示の極度な圧縮が必要であるということ、それからまたそういう圧縮が可能となるための基礎条件として日本人のような特異な自然観が必要であること、なおその上に環境条件として古来の短詩形の伝習によって圧縮が完成され、そうしてでき・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・定見とは伝習の道徳観と並に審美観とである。これを破却するは曠世の天才にして初めて為し得るのである。 わたしの眼に映じた新らしき女の生活は、あたかも婦人雑誌の表紙に見る石版摺の彩色画と殆撰ぶところなきものであった。新しき女の持っている情緒・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ この学校は中学の内にてもっとも新なるものなれば、今日の有様にて生徒の学芸いまだ上達せしにはあらざれども、その温和柔順の天稟をもって朝夕英国の教師に親炙し、その学芸を伝習し、その言行を聞見し、愚痴固陋の旧習を脱して独立自主の気風に浸潤す・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・ チェホフは小市民的卑俗さ、愚劣な伝習というようなものを常に鋭く諷刺し、その下らなさ加減を興味深い短篇の中へ素敵な技術でもり込んでいる。然し、チェホフの諷刺は、どこまでも、自由主義人道主義的インテリゲンチアの諷刺だ。というのは、チェホフ・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・義民にしろ、英雄にしろ、それに対する封建の伝習は否定して、しかも猶民衆の要求の焦点として歴史のなかに存在するものではないだろうか。そして、それは甚兵衛の場合のような周囲の必然と個人の心理を動機とするより、もっと異った人間と歴史の他の積極面で・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ 日本のような社会の伝習の中では、現在まだ男の幸福は、女として女が求めている幸福への条件を承認しないことで守られている部分もあるというような、哀れな危っかしい状態に置かれている。男も女も互の幸福については、互を自身の冒険として見なければ・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
出典:青空文庫