・・・そして壁を延ばす代りに穴の中へ頭を挿しこんで内部の仕事をやっている事もあった。しかしそれがどういう目的で何をしているのだか自分には分らなかった。 そのうちに私は何かの仕事にまぎれて、しばらく蜂の事は忘れていた。たぶん半月ほど経ってからと・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・アメリカ人にしても特別に長い方に属するかと思われるこの税関吏の顔は、チューインガムを歯と歯の間に引延ばすアクションのために一層長く見えるのであった。 ホボケンという場所の名までが、何だか如何にも人を馬鹿にしたような名だと思われたのもおそ・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・ こういう災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津浪の週期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。そうすれば災害はもはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう。しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・そう云った身拵えで、早稲田の奥まで来て下すって、例の講演は十一月の末まで繰り延ばす事にしたから約束通りやってもらいたいというご口上なのです。私はもう責任を逃れたように考えていたものですから実は少々驚ろきました。しかしまだ一カ月も余裕があるか・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・即ち人心の働きの定則として、一方に本心を枉げて他の一方にこれを伸ばすの道理あらざればなり。私徳を修めて身を潔清の位に置くと、私権を張りて節を屈せざると、二者その趣を殊にするが如くなれども、根本の元素は同一にして、私徳私権相関し、徳は権の質な・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・徹夜などした時は、仕事がすんでから右の手を伸ばそうとしても容易に伸ばす事が出来んようになってしまう。今日も昼からつづけさまに書いて居るので大分くたびれたから、筆を投げやって、右の肱を蒲団の外へ突いて、頬杖をして、暫く休んだ。熱と草臥とで少し・・・ 正岡子規 「ランプの影」
・・・「祭り延ばすから早くよくなれ」本家のおばあさんが見舞いに行って、その子の頭をなでて言いました。 その子は九月によくなりました。 そこでみんなはよばれました。ところがほかの子供らは、いままで祭りを延ばされたり、鉛の兎を見舞いにとら・・・ 宮沢賢治 「ざしき童子のはなし」
・・・長い頸を天に延ばすやつ頸をゆっくり上下に振るやつ急いで水にかけ込むやつ実にまるでうじゃうじゃだった。「もういけない。すっかりうまくやられちゃった。いよいよおれも食われるだけだ。大学士の号も一所になくなる。雷竜はあんまりひ・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・こいつを延ばすと子供の使うはしごになるんだ。いいか。そら。」 紳士はだんだんそれを引き延ばしました。間もなく長さ十米ばかりの細い細い絹糸でこさえたようなはしごが出来あがりました。「いいかい。こいつをね。あの栗の木に掛けるんだよ。ああ・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・そういう風にして、立派な才能、或はよくなる才能でも、商売と結びついた文学の中では非常に純粋に立派に伸ばすという真面目な気持をもって扱われにくい。商売の本性はそういうものです。 それがもっと悲惨なことになったのは、婦人の文学ばかりではあり・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
出典:青空文庫