・・・中学の終りからテニスを始めていたぼくは、テニスのおかげで一夜に二寸ずつ伸びる思いで、長身、肥満、W高等学院、自涜の一年を消費した後、W大学ボート部に入りました。一年後ぼくはレギュラーになり、二年後、第十回オリンピック選手としてアメリカに行き・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・「葉ばかり伸びるものだから、私を揶揄なさっているのよ。ここの主人は、いい加減よ。私、ここの奥さんに気の毒なの。それや真剣に私の世話をして下さるのだけれども、私は背丈ばかり伸びて、一向にふとらないのだもの。トマトさんだけは、どうやら、実を・・・ 太宰治 「失敗園」
・・・と小さい声で唄ってみて、この子は、なんてのんきな子だろう、と自分ながら歯がゆくなって、背ばかり伸びるこのボーボーが憎らしくなる。いい娘さんになろうと思った。 このお家に帰る田舎道は、毎日毎日、あんまり見なれているので、どんな静かな田舎だ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・番茶を一口すすって、「僕のこの不精髭を見て、幾日くらいたてばそんなに伸びるの? と聞くから、二日くらいでこんなになってしまうのだよ。ほら、じっとして見ていなさい。鬚がそよそよと伸びるのが肉眼でも判るほどだから、と真顔で教えたら、だまってしゃ・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・もっとも胎生動物の母胎の伸縮も同様な例としてあげられるかもしれないが、しかしこの蛇のように僅少な時間にこんなに自由に伸びるのは全く珍しいと言わなければなるまい。これにはきっと特別な細胞や繊維の特異性があるに相違ないが、ちょっとした動物学の書・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・そのおかげでわれわれは生きて行かれるのである。伸びるのは縮まるためであり、縮むのは伸びるためである。伸びるのが目的でもなく縮むのが本性でもなく、伸びたり縮んだりするのが生きている心臓や肺の役目である。これが伸び切り、縮み切りになるときがわれ・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・少しくらい雑草も生えても、いい木はやはり自然に延びる。下手な植木屋が良い木を枯らす。 科学者が利口になると科学は進歩を中止する。科学者はみんな永久に馬鹿でありたい。 六 理学部会委員に約束しておいたのを忘・・・ 寺田寅彦 「スパーク」
・・・息を吹き込むとヒョロヒョロと象の鼻のように伸びるおもちゃも売っている。町はたいそうな人出で巡査がおおぜい出て警戒しています。天気がよくて暖かくてなんだか東京の花見時分の心持ちでした。高い家の窓から皆往来を見物している。派手な女帽子が目に立つ・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・夢の話しはまた延びる。 宣徳の香炉に紫檀の蓋があって、紫檀の蓋の真中には猿を彫んだ青玉のつまみ手がついている。女の手がこの蓋にかかったとき「あら蜘蛛が」と云うて長い袖が横に靡く、二人の男は共に床の方を見る。香炉に隣る白磁の瓶には蓮の花が・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・波の如くに延びるよと見る間に、君とわれは腥さき縄にて、断つべくもあらぬまでに纏わるる。中四尺を隔てて近寄るに力なく、離るるに術なし。たとい忌わしき絆なりとも、この縄の切れて二人離れ離れにおらんよりはとは、その時苦しきわが胸の奥なる心遣りなり・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫