・・・硝子戸の外には葡萄の蔓も延び延びとして、林檎の植えられた畠なども見える。「子安君はナカナカ好い身体ですネ――」 と学士に言われて、子安は随分苦学もして来たらしい締った毛脛を撫でた。「どうです、我輩の指は」 とその時、学士は左・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・長いこと、蒲団や掻巻にくるまって曲んでいた彼の年老いた身体が、復た延び延びして来た。寝心地の好い時だ。手も、足も、だるかった。彼は臥床の上へ投出した足を更に投出したかった。土の中に籠っていた虫と同じように、彼の生命は復た眠から匍出した。・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・けれども、今夜は全くの無風なので、焔は思うさま伸び伸びと天に舞いあがり立ちのぼり、めらめら燃える焔のけはいが、ここまではっきり聞えるようで、ふるえるほどに壮観であった。ふと見ると、月夜で、富士がほのかに見えて、気のせいか、富士も焔に照らされ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・余はそれを通読するつもりで宅へ持って帰ったが、何分課業その他が忙がしいので段々延び延びになって、何時まで立っても目的を果し得なかった。ほど経て先生が、久しい前君に貸したベインの本は僕の先生の著作だから保存して置きたいから、もし読んでしまった・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・ 同じ辛苦をしながらも、親たちが、いつも明るい愛と勇気と、率直公平な物わかりよさをもって困難をしのいでゆくならば、子供たちは、困苦の中にも伸び伸びとして育つものです。これまでにしろ、誰が金持の子なら必ず立派だと考えていたでしょう。却って・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・ 私たちは女でございますけれども、男に脅かされるようにして生きてゆきたくはない。伸び伸びと何者も恐れることはなく、自分の力をもって生きて行かなければならないのであります。ですから、みなさんも、さきほどから、いろいろと纏らない話をお聴・・・ 宮本百合子 「幸福について」
・・・それで昔から日本には女の人は親に従い夫に従い老いては子に従うという言葉がありまして、夫に従うとともにお姑に従うという習慣がありますから、家庭のなかで伸び伸びしてみなが相談して明るくやってゆくという気分が阻害されます。つまり人間らしいものが失・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・ 此間中から、私の思って居る種々の事を申上度いと思って居りましたが、つい延び延びに成って仕舞いました。決して忘れて居たのではございませんが、近頃、私の生活の上に起った変動は、非常に大きく私の精神上に波動を与えました。決して混乱ではござい・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
こんど同行する湯浅芳子さんは七月頃既に旅券が下附されていたのだが、私が行くとも行かぬともはっきり態度が決らなかったので湯浅さんも延び延びになっていたのです。然し私もロシヤへは以前から行って見たい希望を持っていたのです。行く・・・ 宮本百合子 「ロシヤに行く心」
出典:青空文庫