「伸子」は一九二四年から一九二六年の間に書かれた。そのころの日本にはもう初期の無産階級運動がおこっていたし、無産階級文学の運動もおこっていた。けれども作者は直接そういう波にふれる機会のない生活環境にあった。「伸子」には、日本・・・ 宮本百合子 「あとがき(『伸子』)」
「伸子」は、一九二四年頃から三年ほどかかって書かれた。丁度、第一次ヨーロッパ大戦が終った時から、その後の数年間に亙る時期に、日本の一人の若い女性が、人及び女として、ひたすら成長したい熱望につき動かされて、与えられた中流的な環・・・ 宮本百合子 「あとがき(『伸子』第一部)」
「伸子」の続篇をかきたい希望は、久しい間作者の心のうちにたくわえられていた。 一九三〇年の暮にモスクから帰って、三一年のはじめプロレタリア文学運動に参加した当時の作者の心理は、自分にとって古典である「伸子」を、過去の作品・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・は、その後にかかれた長篇「伸子」の短く途絶えた序曲のような性質をもっている。あるいは、嵐がおそって来る前の稲妻の閃きのような。「白い蚊帳」は時期から云えば「我に叛く」より数年あとになるが、これも或る意味では「伸子」に添えてよまれるべき性質の・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・翌年の秋から「伸子」が執筆されはじめた。その前提となって、はげしい心の病気からの立ち上りが示されている作品であった。「古き小画」では、素朴な古代人の感情、行動、近東の絵画的風俗などに少なからず作者の感興がよせられている。エクゾチシズムが・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・その時分、わたしは、「伸子」の中に佃としてかかれているひとと生活していて、夫婦というもの毎日の生きかたの目的のわからない空虚さに激しく苦しみもだえていた。そのひととはなれていられず、それならばと云ってその顔を見ていると分別を失って苦しさにせ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
この一冊におさめられた八篇の小説は、それぞれに書かれた時期もちがい、それぞれにちがった時期の歴史をももっている。「一本の花」は一九二七年の秋ごろ発表された。長篇「伸子」を書き終り、ソヴェト旅行に出かける前の中間の時期、・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
「伸子」は一九二四年より一九二六年の間に執筆され、六七十枚から百枚ぐらいずつに章をくぎって、それぞれの題のもとに二三ヵ月おきに雑誌『改造』に発表された。たとえば、第一の部分「揺れる樹々」につづいて「聴きわけられぬ跫音」そのほ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・長篇「伸子」を三年に亙って執筆。昭和二年――五年モスクその他旅行。昭和七年一月結婚。著書、「貧しき人々の群」「一つの芽生」「伸子」「新しきシベリアを横切る」「冬を越す蕾」「昼夜随筆」「乳房」現代日本文学全集中「中條百合子集」文芸家協会々員、・・・ 宮本百合子 「「現代百婦人録」問合せに答えて」
・・・[自注11]二年間位の仕事――「伸子」の続篇が計画されていたが実現しなかった。[自注12]シャパロフ――シャパロフ著『マルクス主義への道』。[自注13]七十銭位の本になります――ゴーリキー伝のこと。健康悪化してこの伝記は未完のま・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫