・・・ 又 わたしはいつか東洲斎写楽の似顔画を見たことを覚えている。その画中の人物は緑いろの光琳波を描いた扇面を胸に開いていた。それは全体の色彩の効果を強めているのに違いなかった。が、廓大鏡に覗いて見ると、緑いろをしているのは・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・「御新姐の似顔ならば本懐です。」―― 十二月半ばである。日短かな暮方に、寒い縁側の戸を引いて――震災後のたてつけのくるいのため、しまりがつかない――竹の心張棒を構おうとして、柱と戸の桟に、かッと極め、極めはずした不思議のはずみに・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・筆を執っても原稿用紙の隅に自分の似顔画を落書したりなどするだけで、一字も書けない。それでいて、そのひとは世にも恐ろしい或るひとつの小説をこっそり企てる。企てた、とたんに、世界じゅうの小説がにわかに退屈でしらじらしくなって来るのだ。それはほん・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・漫画の長所はこれのみに限らない。似顔漫画が写真よりもいっそうよくその人に似るというのと同様に、対象の特徴の或る少数なる要素を抽出し誇張して、それをモンタージュ的に構成することによって、実物よりもいっそう実在的なものを創造するのである。近ごろ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・るのを、後に立っている年寄の男が指で盆の窪を突っついてお辞儀をさせる、取巻いて見物している群集は面白がってげらげら笑い囃し立てる、その観客の一人一人のクローズアップの中からも吾々はいくらも故旧の誰彼の似顔を拾い出すことが出来るのである。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・あるいはその点に行くとかえって日本画の似顔とかあるいは漫画のカリカチュアのほうが見込みがありそうに思われた。それほどではなくてもまつ毛一本も見残さずかいた、金属製の顔にエナメルを塗ったような堅い堅い肖像よりは、後期印象派以後の妙な顔のほうが・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ 幕があくと舞台は銀座街頭の場面だそうで、とあるバーの前に似顔絵かきと靴磨き二人と夕刊売りの少女が居る。その少女が先刻のバスの少女であるが、ここでは年齢が急に五つか六つ若くなっている。その靴磨きのルンペンの一人がすなわち休憩室の飾り物を・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・八つ切りくらいのスケッチブックへ鉛筆で簡単なスケッチをしたが、それは普通の意味の似顔としてはあまりよく似てはいなかった。その時自分の感じた事は、その鉛筆画が普通のアカデミックなデッサンとはどこか行き方が違っているという事であった。 いよ・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
・・・には単なる似顔の集成でなく、各メンバーの排置のみならずそのポーズや服装によって各自の個性を表現しようという苦心の痕が覗われる。とにかく、このような同人群像を試みるとしてはおそらく最も適任な石井氏が更に研究を重ねてこの絵の完成に勉められること・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・回答者の、ポスター・バリューのある似顔が程よく入れられていて、川路龍子、獅子文六、小野佐世男その他にまじって三笠宮崇仁親王という公式の名で、回答がのせられている。の答えは、小学四年生のとき母に愛のこころをこめて送った書簡が最初のラヴ・レター・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
出典:青空文庫