・・・ 四月三十日の未の刻、彼等の軍勢を打ち破った浅野但馬守長晟は大御所徳川家康に戦いの勝利を報じた上、直之の首を献上した。(家康は四月十七日以来、二条の城にとどまっていた。それは将軍秀忠の江戸から上洛するのを待った後この使に立ったのは長晟の・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・ 毎年二月半ばから四月五月にかけて但馬、美作、備前、讃岐あたりから多くの遍路がくる。菅笠をかむり、杖をつき、お札ばさみを頸から前にかけ、リンを鳴らして、南無大師遍照金剛を口ずさみながら霊場から霊場をめぐりあるく。 この島四国めぐりは・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・お兄さんは、但馬守だ。かならず、うまくいきますよ。但馬守だって何だって、彦左の横車には、かないますまい。」「けれども、」弱い十兵衛は、いたずらに懐疑的だ。「なるべくなら、そんな横車なんか押さないほうがいいんじゃないかな。僕にはまだ十兵衛・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・だって、あの骨董屋の但馬さんが、父の会社へ画を売りに来て、れいのお喋りを、さんざんした揚句の果に、この画の作者は、いまにきっと、ものになります。どうです、お嬢さんを等と不謹慎な冗談を言い出して、父は、いい加減に聞き流し、とにかく画だけは買っ・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・区画整理で、寺の墓地を移転するについて、柳生但馬守の墓を掘ったら、中には何もなかったと云う話をした。「へえ、奇体なことがあるね、どうしたんだろう」 まさ子は興味を示した顔つきで、その若者やなほ子を見た。そんなとき、眼に平常の母らしい・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ 阿部の屋敷の裏門に向うことになった高見権右衛門はもと和田氏で、近江国和田に住んだ和田但馬守の裔である。初め蒲生賢秀にしたがっていたが、和田庄五郎の代に細川家に仕えた。庄五郎は岐阜、関原の戦いに功のあったものである。忠利の兄与一郎忠・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・辻番所組合遠藤但馬守胤統から酒井忠学の留守居へ知らせた。酒井家は今年四月に代替がしているのである。 酒井家から役人が来て、三人の口書を取って忠学に復命した。 翌十四日の朝は護持院原一ぱいの見物人である。敵を討った三人の周囲へは、山本・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫