・・・そして花の盛りが過ぎてゆくのと同じように、いつの頃からか筧にはその深祕がなくなってしまい、私ももうその傍に佇むことをしなくなった。しかし私はこの山径を散歩しそこを通りかかるたびに自分の宿命について次のようなことを考えないではいられなかった。・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・これが、この世の見おさめと、門辺に立てば月かげや、枯野は走り、松は佇む。私は、下宿の四畳半で、ひとりで酒を飲み、酔っては下宿を出て、下宿の門柱に寄りかかり、そんな出鱈目な歌を、小声で呟いている事が多かった。二、三の共に離れがたい親友の他には・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・階段を上りつめてドアの前に少時佇む。その影法師が大きく映る、という場面が全篇の最頂点になるのであるが、この場面だけはせめてもう一級だけ上わ手の俳優にやらせたらといささか遺憾に思われたのであった。 テニス競技の場面の挿入は、物語としては主・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・取り巻くの一度にパッと天地を燬く時、の上に火の如き髪を振り乱して佇む女がある。「クララ!」とウィリアムが叫ぶ途端に女の影は消える。焼け出された二頭の馬が鞍付のまま宙を飛んで来る。 疾く走る尻尾を攫みて根元よりスパと抜ける体なり、先なる馬・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・用意を貴ぶ、かくのごとくすること日々ある日また四老に会す、幽賞雅懐はじめのごとし、眼を閉じて苦吟し句を得て眼を開く、たちまち四老の所在を失す、しらずいずれのところに仙化して去るや、恍として一人みずから佇む時に花香風に和し月光水に浮ぶ、これ子・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・何とか自分の心を片づけるきっかけを、彼の見えざる面を視つめて掴もうとし、彼の墓の前に或る時は時間を忘れて佇むのだ。 生きているからには、私は生きているらしく生きたい。憎みでもよい。さっぱりしたい。エホバの声というのは、どんなものであった・・・ 宮本百合子 「文字のある紙片」
出典:青空文庫