・・・お玉ヶ池に住んでいた頃、或人が不斗尋ねると、都々逸端唄から甚句カッポレのチリカラカッポウ大陽気だったので、必定お客を呼んでの大酒宴の真最中と、暫らく戸外に佇立って躊躇していたが、どうもそうらしくもないので、やがて玄関に音なうと、ピッタリ三味・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・容子がドウモ来客らしくないので、もしやと思って、佇立って「森さんですか、」と声を掛けると、紳士は帽子に手を掛けつつ、「森ですが、君は?」「内田です、」というと、「そうか、」と立ちながら足を叩いて頽れるように笑った。「宜かった、宜かっ・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・丁度秋の中頃の寒くも暑くもない快い晩で、余り景色が好いので二人は我知らず暫らく佇立って四辺を眺めていた。二葉亭は忽ち底力のある声で「明月や……」と叫って、較や暫らく考えた後、「……跡が出ない。が、爰で名句が浮んで来るようでは文人の縁が切れな・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・思わずも足を駐めて視ると、何か哀れな悲鳴を揚げている血塗の白い物を皆佇立てまじりまじり視ている光景。何かと思えば、それは可愛らしい小犬で、鉄道馬車に敷かれて、今の俺の身で死にかかっているのだ。すると、何処からか番人が出て来て、見物を押分け、・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・膳の通い茶の通いに、久しく馴れ睦みたる婢どもは、さすがに後影を見送りてしばし佇立めり。前を遶る渓河の水は、淙々として遠く流れ行く。かなたの森に鳴くは鶇か。 朝夕のたつきも知らざりし山中も、年々の避暑の客に思わぬ煙を増して、瓦葺きの家も木・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・不思議なるは自分が、この時かかる目的の為に外面に出ながら、外面に出て二歩三歩あるいて暫時佇立んだ時この寥々として静粛かつ荘厳なる秋の夜の光景が身の毛もよだつまでに眼に沁こんだことである。今もその時の空の美しさを忘れない。そして見ると、善にせ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 高瀬も佇立って、「畢竟、よく働くから、それでこう女の気象が勇健いんでしょう」「そうです。働くことはよく働きますナ……それに非常な質素なところだ……ですけれど、高瀬さん、チアムネスというものは全くこの辺の娘に欠けてますネ」 子安・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・暫時二人は門外の石橋のところに佇立みながら、混雑した往来の光景を眺めた。旧い都が倒れかかって、未だそこここに徳川時代からの遺物も散在しているところは――丁度、熾んに燃えている火と、煙と、人とに満された火事場の雑踏を思い起させる。新東京――こ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・両親の居間の襖をするするあけて、敷居のうえに佇立すると、虫眼鏡で新聞の政治面を低く音読している父も、そのかたわらで裁縫をしている母も、顔つきを変えて立ちあがる。ときに依っては、母はひいという絹布を引き裂くような叫びをあげる。しばらく私のすが・・・ 太宰治 「玩具」
・・・高須は、その入口に佇立した。 さちよは、高須に気がつかず、未だ演技直後の興奮からさめ切らぬ様子で、天井あおいでヒステリックな金切声たてて笑いこけていた。「ちょっと、あなた、ごめんなさい。」 耳もとで囁き、大きい黒揚羽の蝶が、ひた・・・ 太宰治 「火の鳥」
出典:青空文庫