・・・「もし哲学者なり芸術家なりが、過去に属する低能者なら、労働者の生活をしていない学者思想家もまた同様だ。それは要するに五十歩百歩の差にすぎない」。この私の言葉に対して河上氏はいった、「それはそうだ。だから私は社会問題研究者としてあえて最上の生・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・こんな処はマア低能だネ。」 沼南の清貧咄は強ち貧乏を衒うためでもまた借金を申込まれる防禦線を張るためでもなかったが、場合に由ると聴者に悪感を抱かせた。その頃毎日新聞社に籍を置いたG・Yという男が或る時、来て話した。「僕は社の会計から煙草・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ところが日本では昔から法科万能で、実務上には学者を疎んじ読書人を軽侮し、議論をしたり文章を書いたり読書に親んだりするとさも働きのない低能者であるかのように軽蔑されあるいは敬遠される。二葉亭ばかりが志を得られなかったのではない。パデレフスキー・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・また、舅も、姑も、かわいがってはくれましたけれど、聟という人は、すこし低能な生まれつきであることがわかりました。 彼女は、この愚かな聟が、たとえ自分を慕い、愛してくれましたにかかわらず、どうしても自分は愛することができなかったのです。・・・ 小川未明 「海ぼたる」
・・・芸術家というものは弱い、てんでなっちゃいない大きな低能児ね。それだけのもの、つまり智能の未発育な、いくら年とっても、それ以上は発育しない不具者なのね。純粋とは白痴のことなの? 無垢とは泣虫のことなの? あああ、何をまた、そんな蒼い顔をして、・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・私は馬鹿に似ているが、けれども、根からの低能でも無かった筈である。自信が無いとは言っても、それはまた別な尺度から言っている事で、何もこんな一面識も無い年少の者から、これ程までにみそくそに言われる覚えは無いのである。 私は立って着物の裾の・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・D、低能。ゴルフのカップは、よだれ受け。S、阿呆。学校だけは出ました。U、半死。あの若さで守銭奴とは。O君はよい。男ぶりだけでも。○昼は消えつつものをこそ思う。○水戸黄門、諸国漫遊は、余が一生の念願也。○私は尊敬におびえている。・・・ 太宰治 「古典風」
・・・なんにも書けない低能の文学少女、炬燵にはいって雑誌を読んでいたら眠くなって来たので、炬燵は人間の眠り箱だと思った、という小説を一つ書いてお見せしたら、叔父さんは中途で投げ出してしまいました。私が、あとで読んでみても、なるほど面白くありません・・・ 太宰治 「千代女」
・・・実に、破廉恥な、低能の時期であった。学校へもやはり、ほとんど出なかった。すべての努力を嫌い、のほほん顔でHを眺めて暮していた。馬鹿である。何も、しなかった。ずるずるまた、れいの仕事の手伝いなどを、はじめていた。けれども、こんどは、なんの情熱・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・「低能だ。」「なんだっていい、僕は行くんだ。」「行ったほうがよい。歩いて行くのか。」「ばかにするな!」勝治は父に飛びかかって行った。これが親不孝のはじめ。 チベット行は、うやむやになったが、勝治は以来、恐るべき家庭破壊者・・・ 太宰治 「花火」
出典:青空文庫