・・・一歩一歩あるくたびごとに、霜でふくれあがった土が鶉か梟の呟きのようなおかしい低音をたててくだけるのだ。「いや。」僕はわざと笑った。「そんなことでなしに、何かお仕事でもはじめていませんか?」「もう、骨のずいからの怠けものです。」きっぱ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ ちなみに太郎の仙術の奥義は、懐手して柱か塀によりかかりぼんやり立ったままで、面白くない、面白くない、面白くない、面白くない、面白くないという呪文を何十ぺん何百ぺんとなくくりかえしくりかえし低音でとなえ、ついに無我の境地にはいりこむこと・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・メフィストの低音が気に入りました。道具立ての立派で真に迫ること、光線の使用の巧みなことはどこでも感心します。音楽の始まる前の合図にガタンガタンと板の間をたたくような音をさせるのはドイツのと違っていて滑稽な感じがしました。最後の前の幕にバレー・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・うちの器械で鋼鉄の針でやる時にあまりに耳立ちすぎて不愉快であったピッコロのような高音管楽器の音が、いい器械で竹針を用いれば適当に柔らげられ、一方ではまた低音の弦楽器の音などがよほど正常の音色を出す事を知った。 年の暮れに余分な銭のあった・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・の、左手でひく低音のほうを繰り返し繰り返しさらっていた。八分の一の低音の次に八分の一の休止があってその次に急速に駆け上がる飾音のついた八分の一が来る。そこでペダルが終わって八分の一の休止のあとにまた同じような律動が繰り返される。 この美・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・と、少し舌のもつれるような低音で尻下がりのアクセントで呼びありくのであった。舌がもつれるので「山オコゼは」が「ヤバオゴゼバ」とも聞こえるような気がした。とにかく、この山男の身辺にはなんとなく一種神秘の雰囲気が揺曳しているように思われて、当時・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・これに相和する野坡のパートにはほとんど常に低音で弱い感じが支配しているように思われる。「家普請を春のてすきにとり付いて」の静かな低音の次に「上のたよりにあがる米の値」は、どうしても高く強い。そうして「宵の内はらはらとせし月の雲」と一転してい・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫