・・・その口ぶりから察すると、なんでもよほどきたない所らしいので、また少し躊躇しかけたが、もとよりこの地へ来て体裁を顧みる必要もない身だから、一晩や二晩はどんなへやで明かしたってかまわないという気になって、このあいだまで重吉のいたというそのへやへ・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・年月を経るにしたがい学風の進歩することあらば、その体裁もまた改まるべし。 明治三年庚午三月慶応義塾同社 誌 福沢諭吉 「学校の説」
・・・草書を楷書に変じ、平仮名を片仮名にせんとするも、容易に行われ難き通俗世界の人民へ、横文左行の帳合法を示すも、人民はその利害得失を問うにいとまあらず、まずその外見の体裁に驚きてこれを避くることならん。 ゆえに、今の横文字の帳合法は、一家に・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ちょいと大使館書記官くらいな体裁にはなってしまう。「当代の文士は商賈の間に没頭せり」と書いた Porto-Riche は、実にわれを欺かずである。 ピエエル・オオビュルナンは三十六歳になっている。鬚を綺麗に剃っている。指の爪と斬髪頭とに・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・石塔は無しにしてくれとかねがね遺言して置いたが、石塔が無くては体裁が悪いなんていうので大きなやつか何かを据えられては実に堪まるものじゃ無い。 土葬はいかにも窮屈であるが、それでは火葬はどうかというと火葬は面白くない。火葬にも種類があるが・・・ 正岡子規 「死後」
・・・その点から云えば、これらの文章も今度はじめて本来の体裁をもってあらわれたと云える。 ゴーリキイについていくとおりもの文章が集められているが、これは重複していない。マクシム・ゴーリキイという一人の真に人民中の人民が、その野蛮と穢辱にみちた・・・ 宮本百合子 「あとがき(『作家と作品』)」
・・・ 成程、この画は壁の破れたところに貼っても一寸体裁がよかろう。壁が破れても修繕はしてくれず、家賃ばかり矢の催促にくる大家に対して、借家人同盟の長屋委員会をつくろう等という考えは起さず、壁の穴へは、色紙一枚に雀一羽描いて何百円とかとる竹内・・・ 宮本百合子 「『キング』で得をするのは誰か」
・・・こう云う体裁の広間である。中にも硝子窓は塵がいやが上に積もっていて、硝子というものの透き徹る性質を全く失っているのだから、紙を張る必要はない。それに紙が張ってあるのは、おおかた硝子を張った当座、まだ透き徹って見えた頃に発明の才のある役人がさ・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・そしてその体裁をして荒涼なるジェネアロジックの方向を取らしめたのは、あるいはかのゾラにルゴン・マカアルの血統を追尋させた自然科学の余勢でもあろうか。 しかるにわたくしには初めより自己が文士である、芸術家であるという覚悟はなかった。また哲・・・ 森鴎外 「なかじきり」
・・・口先では体裁のよいことをいうが、勘定高いゆえに無慈悲である。また見栄坊であって、何をしても他から非難されまいということが先に立つ。自分の独創を見せたがり、人まねと思われまいという用心にひきずられる。他をまねる場合でも、「人見せ善根」になって・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫