・・・「が、身ども息のある内に、先生を御見かけ申し、何分願いたい一儀がござる。御聞き届け下さりょうか。」蘭袋は快く頷いた。すると甚太夫は途切れ途切れに、彼が瀬沼兵衛をつけ狙う敵打の仔細を話し出した。彼の声はかすかであったが、言葉は長物語の間にも、・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ではさようなら。何分よろしく。編輯者 さようなら、御機嫌好う。 芥川竜之介 「奇遇」
・・・では何分願います。どうも仙人と御医者様とは、どこか縁が近いような心もちが致して居りましたよ。」 何も知らない番頭は、しきりに御時宜を重ねながら、大喜びで帰りました。 医者は苦い顔をしたまま、その後を見送っていましたが、やがて女房に向・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・三の烏 その事よ、血の酒に酔う前に、腹へ底を入れておく相談にはなるまいかな。何分にも空腹だ。二の烏 御同然に夜食前よ。俺も一先に心付いてはいるが、その人間はまだ食頃にはならぬと思う。念のために、面を見ろ。三羽の烏、ばさばさと・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ まさかとは思う……ことにその言った通り人恋しい折からなり、対手の僧形にも何分か気が許されて、 と二声ほど背後で呼んだ。」 五「物凄さも前に立つ。さあ、呼んだつもりの自分の声が、口へ出たか出んか分らな・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 何分にも、十六七の食盛りが、毎日々々、三度の食事にがつがつしていた処へ、朝飯前とたとえにも言うのが、突落されるように嶮しい石段を下りたドン底の空腹さ。……天麩羅とも、蕎麦とも、焼芋とも、芬と塩煎餅の香しさがコンガリと鼻を突いて、袋を持・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・予は何分寝ようという気にならない。空腹なる人の未だ食事をとり得ない時の如く、痛く物足らぬ心の弱りに落ちつくことが出来ぬのである。 元気のない哀れな車夫が思い出される。此家の門を潜り入った時の寂しさが思い出される。それから予に不満を与えた・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ わたしの考えには深田の手前秋葉の手前あなたのお家にしてもわたしの家にしても、私ども二人が見すぼらしい暮しを近所にしておったでは、何分世間が悪いでしょう、して見れば二人はどうしても故郷を出退くほかないと思います。精しくはお目にかかっての・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ハマズマズ健康ニチカイ方デス文壇モ随分妙ナモノニナッタデハアリマセヌカ、才人ゾロイデ、豪傑ゾロイデ、イヤハヤ我々枯稿連ハ口ヲ出ス場所サエアリマセヌ、一ツ奮ッテナドト思ウコトノナイデモアリマセヌガ、何分オソロシサガ先ニ立チマスノデ、ツイツ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・私もね、実はもうこないだから、一度向うへ出向こう出向こうとそう思っちゃいるんですけど、ついどうも……何分病人を抱えてちっとも体が外せないものですからね」 言われて媼さんは始めて気がついたらしく、「まあ、私としたことが、自分の勝手なことば・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫