・・・、こうして来たのだといいながら、ふと後を振返って見ると、出水どころか、道もからからに乾いて、橋の上も、平時と少しも変りがない、おやッ、こいつは一番やられたわいと、手にした折詰を見ると、こは如何に、底は何時しかとれて、内はからんからん、遂に大・・・ 小山内薫 「今戸狐」
・・・ 今から最早十数年前、その俳優が、地方を巡業して、加賀の金沢市で暫時逗留して、其地で芝居をうっていたことがあった、その時にその俳優が泊っていた宿屋に、その時十九になる娘があったが、何時しかその俳優と娘との間には、浅からぬ関係を生じたので・・・ 小山内薫 「因果」
・・・て、跳起きようとしたが、躯一躰が嘛痺れたようになって、起きる力も出ない、丁度十五分ばかりの間というものは、この苦しい切無い思をつづけて、やがて吻という息を吐いてみると、蘇生った様に躯が楽になって、女も何時しか、もう其処には居なかった、洋燈も・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・ 自分は持て来た小説を懐から出して心長閑に読んで居ると、日は暖かに照り空は高く晴れ此処よりは海も見えず、人声も聞えず、汀に転がる波音の穏かに重々しく聞える外は四囲寂然として居るので、何時しか心を全然書籍に取られて了った。 然にふと物・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・ お正の両頬には何時しか涙が静かに流れている。「今は如何なに思っておいでです」とお正は声をふるわして聞いた。「今ですか、今でも憎いとは思っていません。けれどもね、お正さん僕が若し彼様な不幸に会わなかったら、今の僕では無かったろう・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・ 以上炭の噂まで来ると二人は最初の木戸の事は最早口に出さないで何時しか元のお徳お源に立還りぺちゃくちゃと仲善く喋舌り合っていたところは埒も無い。 十一月の末だから日は短い盛で、主人真蔵が会社から帰ったのは最早暮れがかりであった。木戸・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・背の高い骨格の逞ましい老人は凝然と眺めて、折り折り眼をしばだたいていたが、何時しか先きの気勢にも似ずさも力なさそうに細川繁を振向いて「オイ貴公この道具を宅まで運こんでおくれ、乃公は帰るから」 言い捨てて去って了った。校長の細川は取残・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・一時、頻と馬術に熱心して居られたが、それも何時しか中止になって、後四五年、ふと大弓を初められた。毎朝役所へ出勤する前、崖の中腹に的を置いて古井戸の柳を脊にして、凉しい夏の朝風に弓弦を鳴すを例としたが間もなく秋が来て、朝寒の或日、片肌脱の父は・・・ 永井荷風 「狐」
・・・例えば私がこの机を推している、何時しかこの机と共に落ちたとします。この落ちたという事実に対して、諸君は必ず笑われるに違いない。しかし倫理的に申したならば、人が落ちたというに笑うはずがない、気の毒だという同情があって然るべきである、殊に私のよ・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
出典:青空文庫