・・・是等の男女はチエホフの作中にも屡その面を現せども、チエホフの主人公は我等読者を哄笑せしむること少しとなさず。久保田君の主人公はチエホフのそれよりも哀婉なること、なお日本の刻み煙草のロシアの紙巻よりも柔かなるが如し。のみならず作中の風景さえ、・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・の主人公はあるいは僕の記憶に残った第一の作中人物かもしれない。それは岩裂の神という、兜巾鈴懸けを装った、目なざしの恐ろしい大天狗だった。 七 お狸様 僕の家には祖父の代からお狸様というものを祀っていた。それは赤い布団・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・それが澄渡った秋深き空のようで、文字は一ずつもみじであった。作中の娘は、わが恋人で、そして、とぼんと立って読むものは小さな茸のように思われた。――石になった恋がある。少年は茸になった。「関弥。」ああ、勿体ない。……余りの様子を、案じ案じ捜し・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・『平凡』の中の犬の一節は二葉亭の作中屈指の評判物であるが、あれは仲猿楽町時代の飼犬の実話を書いたものである。あの行衛知れずになった犬というはポインターとブルテリヤの醜い処を搗交ぜたような下等雑種であって、『平凡』にある通りに誰の目にも余・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 親子の関係、夫妻の関係、友人の関係、また男女恋愛の関係、及び正義に対して抱く感情、美に対して抱く感激というようなものは何人にも経験のあることであって従って作中の人物に対して同感しまた其れに対して、好悪をも感ずるのであります。 芸術・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・横堀の身なりを見た途端、もしかしたら浮浪者の仲間にはいって大阪駅あたりで野宿していたのではないかとピンと来て、もはや横堀は放浪小説を書きつづけて来た私の作中人物であった。 茶の間へ上って、電気焜炉のスイッチを入れると、横堀は思わずにじり・・・ 織田作之助 「世相」
・・・九月号の出し方は、すこし違います。作中に「オダ」という人名が出て来ますが、これは読者が佐伯は作者であるなど思われると困りますので、「オダ」が出て来るのです。「聴雨」でもこの小説でも、作風は語り物の形式を離れて、分析的になっていることはお・・・ 織田作之助 「吉岡芳兼様へ」
・・・言い換えますれば馬琴が作中のこれらの第三類の人物は大抵その当時に存在して居るところの人物なのであります。たとえば磯九郎という男は、勇者の随伴をして牛の闘を見にまいりますと、ふと恐ろしい強い牛が暴れ出しまして、人々がこれを取り押えることが出来・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・ むかし、古事記の時代に在っては、作者はすべて、また、作中人物であった。そこに、なんのこだわりもなかった。日記は、そのまま小説であり、評論であり、詩であった。 ロマンスの洪水の中に生育して来た私たちは、ただそのまま歩けばいいのである・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・ もう一つ、これは甚だロマンチックの仮説でありますけれども、この小説の描写に於いて見受けられる作者の異常な憎悪感は、直接に、この作中の女主人公に対する抜きさしならぬ感情から出発しているのではないか。すなわち、この小説は、徹底的に事実その・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫