・・・所が、この文学史の教授が露国の代表的作家の代表的作物を読まねばならぬような組織であったからである。 する中に、知らず識らず文学の影響を受けて来た。尤もそれには無論下地があったので、いわば、子供の時から有る一種の芸術上の趣味が、露文学に依・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・今の文学者連中に聞き度いのは、よく人生に触れなきゃ不可と云う、其人生だ。作物を読んで、こりゃ何となく身に浸みるとか、こりゃ何となく急所に当らぬとかの区別はある。併しそれが直ちに人生に触れる触れぬの標準となるんなら、大変軽卒のわけじゃないか。・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・旱魃の際には、とにかく作物の枯れないぐらいの雨は降らせることができますから、いままで水が来なくなって作付しなかった沼ばたけも、ことしは心配せずに植え付けてください。」 その年の六月、ブドリはイーハトーヴのまん中にあたるイーハ・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・そしてある目的の作物を育てるのでありますがこの際一番自然なことは畑一杯草が生えて作物が負けてしまうことです。これは一番自然です。前論士がもし農場を経営なすった際には参観さして戴きたい。又人間には盗むというような考があります。これは極めて自然・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
この本に集められている作物は、殆どみんなモスクで書かれたものだ。一九二八年の春から、一九三〇年の秋まで。少し、日本にかえってから書いたものも入っている。 ソヴェト同盟における三年間の滞在は、実に自分に多くのものを教えた・・・ 宮本百合子 「若者の言葉(『新しきシベリアを横切る』)」
・・・そうして有島さんの最近の作物「二つの心」などを拝見しまして、あの中にある弱い男の殉情的な気持などを観ると、よくその中から今度のことが思い合わされるように思われます。〔一九二三年七月〕・・・ 宮本百合子 「有島さんの死について」
・・・人で一切の生活を通過するということは不可能なことであるから、何事をも正確に生き生きと書き得られるということは所詮それは夢想に同じであるが、私たちにしても作者の顔や過去を知っているときは、もうその作家の作物に対して殆ど大部分正確な批判は下せて・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・だが、自分は清少納言の作物に現れたがごとき感覚を感覚だとは認めない。少くとも新感覚とは遥に遠い。官能表徴は感覚表徴の一属性であってより最も感性的な感覚表徴の一部である。このため官能表徴と感覚表徴との明確な範疇綱目を限定することは最も困難なこ・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・その点では自他の作物に対してかなり神経質であった。特に自分の行為や感情についてはその警戒を怠らないつもりであった。しかるにある日突然私は眼が開いた気持ちになる。そして自分の人間と作物との内に多分の醜い affectation を認める。私は・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
一 我々の生活や作物が「不自然」であってはならないことは、今さらここに繰り返すまでもない。我々は絶対に「自然」に即かなくてはならぬ。しかしそれで「自然」についての問題がすべて解決されたとは言えない。むしろ、問題はそれから先にある・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫