・・・どう云うものか公爵や侯爵は余り小説には出て来ないようです。 保吉 それは伯爵の息子でもかまいません。とにかく西洋間さえあれば好いのです。その西洋間か、銀座通りか、音楽会かを第一回にするのですから。……しかし妙子は――これは女主人公の名前・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・ しかるに重体の死に瀕した一日、橘之助が一輪ざしに菊の花を活けたのを枕頭に引寄せて、かつてやんごとなき某侯爵夫人から領したという、浅緑と名のある名香を、お縫の手で焚いてもらい、天井から釣した氷嚢を取除けて、空気枕に仰向けに寝た、素顔は舞・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 腰元は言葉はなくて、顧みて伯爵の色を伺えり。伯爵は前に進み、「奥、そんな無理を謂ってはいけません。できなくってもいいということがあるものか。わがままを謂ってはなりません」 侯爵はまたかたわらより口を挟めり。「あまり、無理を・・・ 泉鏡花 「外科室」
二十五年という歳月は一世紀の四分の一である。決して短かいとは云われぬ。此の間に何十人何百人の事業家、致富家、名士、学者が起ったり仆れたりしたか解らぬ。二十五年前には大外交家小村侯爵はタシカ私立法律学校の貧乏講師であった。英雄広瀬中佐は・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・私はそれが音楽好きで名高い侯爵だということをすぐ知った。そしてその服地の匂いが私の寂寥を打ったとき、何事だろう、その威厳に充ちた姿はたちまち萎縮してあえなくその場に仆れてしまった。私は私の意志からでない同様の犯行を何人もの心に加えることに言・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・と楠公の社に建てられて、ポーツマウス一件のために神戸市中をひきずられたという何侯爵の銅像を作った名誉の彫刻家が、子供のようにわめいた。「イヤとてもわかるものか、わたしが言いましょうか、」と加と男。「言うてみなさい」と今度はまた彫刻家・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・エ、侯爵面して古い士族を忘れんなと言え。全体彼奴等に頭を下げぺこぺこと頼み廻るなんちゅうことは富岡の塾の名汚しだぞ。乃公に言えば乃公から彼奴等に一本手紙をつけてやるのに。彼奴等は乃公の言うことなら聴かん理由にいかん」 先ずこんな調子。そ・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・リッシュに這入ったとき、大きな帽子を被った別品さんが、おれの事を「あなたロシアの侯爵でしょう」と云って、「あなたにお目に掛かった記念にしますから、二十マルクを一つ下さいな」と云ったっけ。 ホテルに帰ったのは、午前六時であった。自動車のテ・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・のストーリーの根本的の差違によることであり、また一方では劇的分子、一方では音楽的分子が主要なものになっているためもあるが、しかしまた二人の監督の手法の些細な点まで行き渡った違いによることも明白である。侯爵家の家従がパッとマグネシウムをたいて・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 何々の宮殿下、何々侯爵、何子爵、何……夫人、と目にうつる写真の婦人のどれもどれもが、皆目のさめる様な着物を着て、曲らない様な帯を〆、それをとめている帯留には、お君の家中の財産を投げ出しても求め得られない様な宝石が、惜し気もなくつけられ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫