・・・茶屋酒の味をおぼえて、二十五の前厄には、金瓶大黒の若太夫と心中沙汰になった事もあると云うが、それから間もなく親ゆずりの玄米問屋の身上をすってしまい、器用貧乏と、持ったが病の酒癖とで、歌沢の師匠もやれば俳諧の点者もやると云う具合に、それからそ・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・書画をたしなみ骨董を捻り、俳諧を友として、内の控えの、千束の寮にかくれ住んだ。……小遣万端いずれも本家持の処、小判小粒で仕送るほどの身上でない。……両親がまだ達者で、爺さん、媼さんがあった、その媼さんが、刎橋を渡り、露地を抜けて、食べものを・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・のみならず、矢竹の墨が、ほたほたと太く、蓑の毛を羽にはいだような形を見ると、古俳諧にいわゆる――狸を威す篠張の弓である。 これもまた……面白い。「おともしましょう、望む処です。」 気競って言うまで、私はいい心持に酔っていた。・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・この画房は椿岳の亡い後は寒月が禅を談じ俳諧に遊び泥画を描き人形を捻る工房となっていた。椿岳の伝統を破った飄逸な画を鑑賞するものは先ずこの旧棲を訪うて、画房や前栽に漾う一種異様な蕭散の気分に浸らなければその画を身読する事は出来ないが、今ではバ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 永年の繁盛ゆえ、かいなき茶店ながらも利得は積んで山林田畑の幾町歩は内々できていそうに思わるれど、ここの主人に一つの癖あり、とかく塩浜に手を出したがり餅でもうけた金を塩の方で失くすという始末、俳諧の一つもやる風流気はありながら店にすわっ・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・ほら、画をかく方だとか、俳諧をなさる方だとか、お芝居の方の人達だとか。ああいうお友達は、今でもちょいちょい見えるかい」「横内に、三枝に、日下部に――あの連中ですか。店が焼けてからこのかた、寄りつきもしません」「あんなにいろいろとお世・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・これくらいの佳句を一生のうちに三つも作ったら、それだけで、その人は俳諧の名人として、歴史に残るかも知れない。佳句というものは少い。こころみに夏の月の巻をしらべてみても、へんな句が、ずいぶん多い。 市中は物のにほひや夏の月 芭蕉が・・・ 太宰治 「天狗」
・・・ しかし、結局、文楽や俳諧のようなものは、西洋人には立ち入ることのできない別の世界の宝石であろう。そうして、西洋の芸術理論家は、こういうものの存在を拒絶した城郭にたてこもって、その城郭の中だけに通用する芸術論を構成し祖述し、それが東洋に・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・やっぱり西洋の踊りのように軽快で陽気で、日本の糸車のような俳諧はどこにもない。また、シューベルトの歌曲「糸車のグレーチヘン」は六拍子であって、その伴奏のあの特徴ある六連音の波のうねりが糸車の回転を象徴しているようである。これだけから見ても西・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ 彼はまた短歌や俳諧を論じて「フレーセオロジーに置き換えられた象形文字」であると言い、二三の俳句の作例を引いてその構成がモンタージュ構成であると言っている。 私はかつて「思想」や「渋柿」誌上で俳諧連句の構成が映画のモンタージュ的構成・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
出典:青空文庫