・・・「宮本さんじゃあるまいし、第一家を持つとしても、借家のないのに弱っているんです。現にこの前の日曜などにはあらかた市中を歩いて見ました。けれどもたまに明いていたと思うと、ちゃんともう約定済みになっているんですからね。」「僕の方じゃいけ・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・また小さい借家にいても、二、三坪の庭に植木屋を入れ、冬などは実を持った青木の下に枯れ松葉を敷かせたのを覚えている。 この「お師匠さん」は長命だった。なんでも晩年味噌を買いに行き、雪上がりの往来で転んだ時にも、やっと家へ帰ってくると、「そ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・こちとらの雀は、棟割長屋で、樋竹の相借家だ。 腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと中空高く順に並ぶ。中でも音頭取が、電柱の頂辺に一羽留って、チイと鳴く。これを合図に、一斉にチイと鳴出す。――塀と枇杷の樹の間に当って・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・「じゃア、うまった跡にぐらつく安借家が出来た、その二軒目だろう?」「しどいわ、あなたは」と、ぶつ真似をして、「はい、これでもうちへ帰ったら、お嬢さんで通せますよ」「お嬢さん芸者万歳」と、僕は猪口をあげる真似をした。 三味を弾・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・内地雑居となった暁は向う三軒両隣が尽く欧米人となって土地を奪われ商工業を壟断せられ、総ての日本人は欧米人の被傭者、借地人、借家人、小作人、下男、下女となって惴々焉憔々乎として哀みを乞うようになると予言したものもあった。又雑婚が盛んになって総・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・河童横町は昔河童が棲んでいたといわれ、忌われて二束三文だったそこの土地を材木屋の先代が買い取って、借家を建て、今はきびしく高い家賃も取るから金が出来て、河童は材木屋だと蔭口きかれていたが、妾が何人もいて若い生血を吸うからという意味もあるらし・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 次郎は次郎でこんなふうに引き受け顔に言って、画作の暇さえあれば一人でも借家をさがしに出かけた。 今さらのように、私は住み慣れた家の周囲を見回した。ここはいちばん近いポストへちょっとはがきを入れに行くにも二町はある。煙草屋へ二町、湯・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・町の方に見つけた借家へ案内しよう、という先生に随いて、高瀬はやがてこの屋敷を出た。 城門前の石碑のあるあたりから、鉄道の線路を越え、二人は砂まじりの窪い道を歩いて行った。並んだ石垣と桑畠との見える小高い耕地の上の方には大手門の残ったのが・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・日あたりも悪く、風通しも悪く、午後の四時というと階下にある冬の障子はもう薄暗くなって、夏はまた二階に照りつける西日も耐えがたいこんな谷の中の借家にくすぶっているよりか、自分の好きな家でも建て、静かに病後の身を養いたいと考えるような、そういう・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・有名な女優は、借家などにはいなかった。これはとみが、働いて自分でたてた家である。「虚栄か。ふん。むりしないほうがいいぞ。」男爵は、もっともらしい顔してそう言った。 応接室に通され、かれは、とみから、その一生の大事なるものに就いて相談を受・・・ 太宰治 「花燭」
出典:青空文庫