・・・何でも夫人の前身は神戸あたりの洋妾だと云う事、一時は三遊亭円暁を男妾にしていたと云う事、その頃は夫人の全盛時代で金の指環ばかり六つも嵌めていたと云う事、それが二三年前から不義理な借金で、ほとんど首もまわらないと云う事――珍竹林主人はまだこの・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 粟野さんはどちらかと言えば借金を断られた人のように、十円札をポケットへ収めるが早いか、そこそこ辞書や参考書の並んだ書棚の向うへ退却した。あとにはまた力のない、どこかかすかに汗ばんだ沈黙ばかり残っている。保吉はニッケルの時計を出し、その・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・一反歩二円二十銭の畑代はこの地方にない高相場であるのに、どんな凶年でも割引をしないために、小作は一人として借金をしていないものはない。金では取れないと見ると帳場は立毛の中に押収してしまう。従って市街地の商人からは眼の飛び出るような上前をはね・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 八 少なからぬ借金で差引かれるのが多いのに、稼高の中から渡される小遣は髪結の祝儀にも足りない、ところを、たといおも湯にしろ両親が口を開けてその日その日の仕送を待つのであるから、一月と纏めてわずかばかりの額ではな・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・早瀬 まだ借金も残っていよう、当座の小使いにもするように、とお心づけ下すったんだ。お蔦 こうした時の気が乱れて、勿体ない事をしようとした、そんなら私、わざと頂いておきますよ。(と帯に納めて、落したる髷形も、荷になってなぜか重い。打棄・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・されば云うて、自分も兵隊はんの抜けがら――世間に借金の申し訳でないことさえ保証がつくなら、今、直ぐにでも、首くくって死んでしまいたい。」「君は、元から、厭世家であったが、なかなか直らないと見える。然し、君、戦争は厭世の極致だよ。世の中が・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・と、お貞が受けて、「借金が返せないもんだから、うちへ来ないで、こそこそとほかでぬすみ喰いをしゃアがる!」 子供はふたりとも吹き出した。「吉弥も吉弥だ、あんな奴にくッついておらなくとも、お客さんはどこにでもある。――あんな奴があって、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 沼南の清貧咄は強ち貧乏を衒うためでもまた借金を申込まれる防禦線を張るためでもなかったが、場合に由ると聴者に悪感を抱かせた。その頃毎日新聞社に籍を置いたG・Yという男が或る時、来て話した。「僕は社の会計から煙草銭ぐらい融通する事はあるが・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・と新造が横から引き取って、「一体その娘の死んだ親父というのが恐ろしい道楽者で自分一代にかなりの身上を奇麗に飲み潰してしまって、後には借金こそなかったが、随分みじめな中をお母と二人きりで、少さい時からなかなか苦労をし尽して来たんだからね。並み・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・はあるデパートのネクタイ部で働いている女だったが、かねがね、うちは亀さんみたいに首の短い人は嫌いや、鶴みたいな人が好きやねん、亀さんは借金で首まわれへんさかいなど、わけのわからぬことを口走っていたゆえ、私はくやしまぎれに彼女に「亀さん」とい・・・ 織田作之助 「大阪発見」
出典:青空文庫