・・・これに比べると低地の草木にはどこかだらしのない倦怠の顔付が見えるようである。 帰りに、峰の茶屋で車を下りて眼の上の火山を見上げた。代赭色を帯びた円い山の背を、白いただ一筋の道が頂上へ向って延びている。その末はいつとなく模糊たる雲煙の中に・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・出て来る画面も出て来る画面もみんな一様に単に絵の具箱をぶちまけたような、なんのしめくくりもアクセントもないものでは到底進行の感じはなくただ倦怠と疲労のほか何物をも生ずることはできないであろう。 立体映画 二次元的平面・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・そうしてその単純明白なモチーフが非常に多面的立体的に取り扱われているために、同じものの繰り返しが少しの倦怠を感ぜしめないのみならず、一歩一歩と高調する戯曲的内容を導いて最後の最頂点に達するまでに観客の注意の弛緩を許さないのであろう。 こ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・同じような場面の繰り返しが多すぎて倦怠を招く箇所が少なくない。 この映画のストーリーの原作では、たしか、最後に忠犬が猛獣を倒して自分もその場で命をおとすようなことになっているかと思う。それが映画ではハッピー・エンドになっている。たぶんこ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・しかしそのような状態はいつまでも持続するわけではなくて、これと反対な倦怠の状態も週期的に循環して来た。そういう時には何を読んでも空虚であった。そこに書いてある表面の意味をとらえる事すら困難であった。そうした時に手帳をあけて自分の書いてある暗・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・いつもより一層遠く柔に聞えて来る鐘の声は、鈴木春信の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵ごとにその力を増すような西風に、とぎれて聞える鐘の声は屈原が『楚辞』にもたとえたい。 昭和・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・愛しあった男女というのは、その社会的な苦労を、自分たちの一生の努力で社会的に少くしてゆこうと心をあわせて進んでゆく、そこに決して、倦怠の生じないような愛の発展を生むでしょう。 幸福になるために結婚する、結婚するために恋愛する、これはなん・・・ 宮本百合子 「生きるための恋愛」
・・・林房雄氏は陳腐なリアリズム否定論者として浪曼主義に賛成し、新感覚派の時代から自然主義的、現実主義的文学方法に絶えざる反撥をつづけて来た横光利一、川端康成、佐藤春夫その他、市井談議一般に倦怠し、同時にリアリズムを更に高めゆく歴史的努力への根気・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・彼は失望や倦怠と云う事を知らない。どんな苦痛や困難に打ち叩かれても、決して参ったとは云えなく生れついている。 “How many glorious things there are on this round ball, things ・・・ 宮本百合子 「最近悦ばれているものから」
・・・先刻の有様では、如何なることかと案じたが、この神々に、満足の感情と、倦怠と、眠りのあるのは有難いことです。暴れる時は、天地の軸が歪みそうで、天帝の眉さえ顰む程だが、必ずあとに、休止と云うものが従っている。 私は始めもなければ終りもない・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫