・・・「明日一番で立つのを、行李乗せて停車場まで送って行てやります」母がそんなに言ってわけを話した。 大変だな、と彼は思っていた。「勝子も行くて?」信子が訊くと、「行くのやと言うて、今夜は早うからおやすみや」と母が言った。 彼・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 乗る客、下りる客の雑踏の間をわれら大股に歩みて立ち去り、停車場より波止場まで、波止場より南洋丸まで二人一言も交えざりき。 船に上りしころは日ようやく暮れて東の空には月いで、わが影淡く甲板に落ちたり。卓あり、粗末なる椅子二個を備え、・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・「話は出来ますか。」曹長は気軽くきいた。「どっから僕が、露西亜語をかじってるんをしらべ出したんですか?」「停車場で君がバルシニャと話しているのをきいたことがあるよ――美人だったじゃないか。」「あの女は、何でもない女ですよ。何・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・久しく見ざれば停車場より我が家までの間の景色さえ変りて、愴然たる感いと深く、父上母上の我が思いなしにやいたく老いたまいたる、祖母上のこの四五日前より中風とやらに罹りたまえりとて、身動きも得したまわず病蓐の上に苦しみいたまえるには、いよいよ心・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 雪の国の停車場は人の心を何か暗くする。中央にはストーヴがある。それには木の柵がまわされている。それを朝から来ていて、終列車の出る頃まで、赤い帽子をかぶつた駅員が何度追ツ払おうが、又すぐしがみついてくる「浮浪者」の群れがある。雪が足駄の・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
・・・その時も次郎は先に立って、弟と一緒に、小田原の停車場まで私を送りに来た。 やがて大地震だ。私たちは引き続く大きな異変の渦の中にいた。私が自分のそばにいる兄妹三人の子供の性質をしみじみ考えるようになったのも、早川賢というような思いがけない・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・それは明日午前十時に、下に書き記してある停車場へ拳銃御持参で、お出で下されたいと申す事です。この要求を致しますのに、わたくしの方で対等以上の利益を有しているとは申されません。わたくしも立会人を連れて参りませんから、あなたもお連れにならないよ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ヒュッテルドルフまで出迎えている時もある。停車場に来ている時もある。生死に関すると云う程でもなく、ちょいとした危険があるのを冒すのが、なんとも云えないように面白い。ポルジイはまだ子供らしく、こんなかくれん坊の興味を感じる。ドリスも冒険という・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ふと汽車――豊橋を発ってきた時の汽車が眼の前を通り過ぎる。停車場は国旗で埋められている。万歳の声が長く長く続く。と忽然最愛の妻の顔が眼に浮かぶ。それは門出の時の泣き顔ではなく、どうした場合であったか忘れたが心からかわいいと思った時の美しい笑・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 停車場へ出掛けた。首尾よく不喫烟室に乗り込むまではよかったが、おれはそこで捕縛せられた。 おれは五時間の予審を受けた。何もかも白状した。しかし裁判官達には、おれがなぜそんな事をしたか分からない。「襟だって価のある物品ではありま・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
出典:青空文庫