近頃パリに居る知人から、アレキサンダー・モスコフスキー著『アインシュタイン』という書物を送ってくれた。「停車場などで売っている俗書だが、退屈しのぎに……」と断ってよこしてくれたのである。 欧米における昨今のアインシュタ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ 私たちは海の色が夕気づくころに、停車場を捜しあてて汽車に乗った。海岸の家へ帰りついたのは、もう夜であった。 私はその晩、彼らの家を辞した。二人は乗場まで送ってきた。蒼白い月の下で、私は彼ら夫婦に別れた。白いこの海岸の町を、私は・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・――高島貞喜は、学生たちが停車場から伴ってきたが、黒い詰襟の学生服を着、ハンチングをかぶった小男は、ふとい鼻柱の、ひやけした黒い顔に、まだどっかには世なれない少年のようなあどけなさがあった。「フーン、これがボルか」 会場の楽屋で、菜・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 上野公園地丘陵の東麓に鉄道の停車場が設けられたのは明治十六年七月である。停車場及鉄道線路の敷地となった処には維新前には下寺と呼ばれた寛永寺所属の末院が堂舎を連ねていた。此処に停車場を建てて汽車の発着する処となしたのは上野公園の風趣を傷・・・ 永井荷風 「上野」
・・・二十年前大学の招聘に応じてドイツを立つ時にも、先生の気性を知っている友人は一人も停車場へ送りに来なかったという話である。先生は影のごとく静かに日本へ来て、また影のごとくこっそり日本を去る気らしい。 静かな先生は東京で三度居を移した。先生・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・始め停車場を出発した時、汽車はレールを真直に、東から西へ向って走っている。だがしばらくする中に、諸君はうたた寝の夢から醒める。そして汽車の進行する方角が、いつのまにか反対になり、西から東へと、逆に走ってることに気が付いてくる。諸君の理性は、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
上 仙台の師団に居らしッた西田若子さんの御兄いさんが、今度戦地へ行らッしゃるので、新宿の停車場を御通過りなさるから、私も若子さんと御同伴に御見送に行って見ました。 寒い寒い朝、耳朶が千断れそうで、靴の裏が路上に凍着くのでした・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ 本所停車場を過ぎてようよう左千夫の家に著いた。格堂は出て来たが主人は出て来ない。主人は留守であるのだ。どうしようか、と暫く躊躇した。頭のつかえそうな低き冠木門の右には若い柳が少し芽をふきかけて居る。左には無花果がまだ裸で居る。その向う・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・ *青森の町は盛岡ぐらいだった。停車場の前にはバナナだの苹果だの売る人がたくさんいた。待合室は大きくてたくさんの人が顔を洗ったり物を食べたりしている。待合室で白い服を着た車掌みたいな人が蕎麦も売っているのはおかしい・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・二月の或る日、陽子は弟と見舞旁遊びに行った。停車場を出たばかりで、もうこの辺の空気が東京と違うのが感じられた。大きな石の一の鳥居、松並木、俥のゴム輪が砂まじりの路を心持よく行った。いかにも鎌倉らしい町や海辺の情景が、冬で人が少いため、一種独・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
出典:青空文庫