出典:青空文庫
・・・彼等はほとんど傍若無人に僕等の側を通り抜けながら、まっすぐに渚へ走って行った。僕等はその後姿を、――一人は真紅の海水着を着、もう一人はちょうど虎のように黒と黄とだんだらの海水着を着た、軽快な後姿を見送ると、いつか言い合せたように微笑していた・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・昔、ジァン・リシュパンは通りがかりのサラア・ベルナアルへ傍若無人の接吻をした。日本人に生れた保吉はまさか接吻はしないかも知れないけれどもいきなり舌を出すとか、あかんべいをするとかはしそうである。彼は内心冷ひやしながら、捜すように捜さないよう・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・しかもまた、何だか頭巾に似た怪しげな狐色の帽子を被って、口髭に酒の滴を溜めて傍若無人に笑うのだから、それだけでも鴨は逃げてしまう。 こういうような仕末で、その日はただ十時間ばかり海の風に吹かれただけで、鴨は一羽も獲れずしまった。しかし、・・・ 芥川竜之介 「鴨猟」
・・・ 僕は彼が傍若無人にこう言ったことを覚えている、それは二人とも数え年にすれば、二十五になった冬のことだった。…… 二 僕等は金の工面をしてはカッフェやお茶屋へ出入した。彼は僕よりも三割がた雄の特性を具えてい・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・ さすがに、了哲も相手の傍若無人なのにあきれたらしい。「いくらお前、わしが欲ばりでも、……せめて、銀ででもあれば、格別さ。……とにかく、金無垢だぜ。あの煙管は。」「知れた事よ。金無垢ならばこそ、貰うんだ。真鍮の駄六を拝領に出る奴・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・室生は大袈裟に形容すれば、日星河岳前にあり、室生犀星茲にありと傍若無人に尻を据えている。あの尻の据えかたは必しも容易に出来るものではない。ざっと周囲を見渡した所、僕の知っている連中でも大抵は何かを恐れている。勿論外見は恐れてはいない。内見も・・・ 芥川竜之介 「出来上った人」
・・・ 世間も構わず傍若無人、と思わねばならないのに、俊吉は別に怪まなかった。それは、懐しい、恋しい情が昂って、路々の雪礫に目が眩んだ次第ではない。 ――逢いに来た――と報知を聞いて、同じ牛込、北町の友達の家から、番傘を傾け傾け、雪を凌い・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・円転滑脱ぶりが余りに傍若無人に過ぎていた。海に千年、山に千年の老巧手だれの交際上手であったが、人の顔色を見て空世辞追従笑いをする人ではなかった。 淡島家の養子となっても、後生大事に家付き娘の女房の御機嫌ばかり取る入聟形気は微塵もなかった・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・例の通りに白壁のように塗り立てた夫人とクッつき合って、傍若無人に大きな口を開いてノベツに笑っていたが、その間夫人は沼南の肩を叩いたり膝を揺ったりして不行儀を極めているので、衆人の視線は自然と沼南夫妻に集中して高座よりは沼南夫妻のイチャツキの・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ いままで、傍若無人に吹いていた暴風は、こう海豹に問いかけられると、ちょっとその叫びをとめました。「海豹さん、あなたはいなくなった子供のことを思って、毎日そこに、そうしてうずくまっていなさるのですか。私は、なんのためにいつまでも、あ・・・ 小川未明 「月と海豹」