・・・そうしてまた実に驚くべく非科学的なる市民、逆上したる街頭の市民傍観者のある者が、物理学も生理学もいっさい無視した五階飛び降りを激励するようなことがなかったら、あたら美しい青春の花のつぼみを舗道の石畳に散らすような惨事もなくて済んだであろう。・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・ こういう場合に傍観者から見て最も滑稽に思われることは、この有機的体系の素材として使用された素材自身、もしくはその供給者が、その素材を使って立派なものを作り上げ、そうして名工としての栄誉を博した陶工に対して不平怨恨の眼を向けるという事実・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・そしてこの広い一室の中にはあらゆる階級の男女が、時としてはその波瀾ある生涯の一端を傍観させてくれる事すらある。Henri Bordeaux という人の或る旅行記の序文に、手荷物を停車場に預けて置いたまま、汽車の汽笛の聞える附近の宿屋に寝泊り・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ その日その日に忘れられて行く市井の事物を傍観して、走馬燈でも見るような興味を催すのは、都会に生れたものの通有する性癖であろう。されば古老の随筆にして行賈の風俗を記載せざるものは稀であるが、その中に就いて、曳尾庵がわが衣の如き、小川顕道・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・一代の趣味も渾然として此処まで堕落してしまって、又如何ともすることの出来ぬものに成り了ってしまうと、平生世間外に孤立している傍観者には却て一種奇異なる興味と薄い気味悪さとを覚えさせるようになる。 僕は銀座街頭に於て目撃する現代婦女の風俗・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・われわれ傍観者には戦争前にはなくて戦敗後に現れて一代の人気に投じたという処に観察の興味があるのだ。 ジャズを踊る踊子は戦争前には腰と乳房とを隠していたのであるが、モデルが出るようになってから、それも出来得るかぎり隠す部分の少いように仕立・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・しかしながら彼ら学者にはすべてを統一したいという念が強いために、出来得る限り何でもかでも統一しようとあせる結果、また学者の常態として冷然たる傍観者の地位に立つ場合が多いため、ただ形式だけの統一で中味の統一にも何にもならない纏め方をして得意に・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・という意味は傍観者である間は、他に対する道義上の要求がずいぶんと高いものなので、ちょっとした紛紜でも過失でも局外から評する場合には大変苛い。すなわちおれが彼の地位にいたらこんな失体は演じまいと云う己を高く見積る浪漫的な考がどこかに潜んでいる・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・幼少の時より不整頓不始末なる家風の中に眠食し、厳父は唯厳なるのみにして能く人を叱咤しながら、其一身は則ち醜行紛々、甚だしきは同父異母の子女が一家の中に群居して朝夕その一父衆母の言語挙動を傍観すれば、父母の行う所、子供の目には左までの醜と見え・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・藩中に商業行わるれば上士もこれを傍観するに非ず、往々竊に資本を卸す者ありといえども、如何せん生来の教育、算筆に疎くして理財の真情を知らざるが故に、下士に依頼して商法を行うも、空しく資本を失うか、しからざればわずかに利潤の糟粕を嘗るのみ。・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫