・・・ときの切支丹奉行は横田備中守と柳沢八郎右衛門のふたりであった。白石は、まえもってこの人たちと打ち合せをして置いて、当日は朝はやくから切支丹屋敷に出掛けて行き、奉行たちと共に、シロオテの携えて来た法衣や貨幣や刀やその他の品物を検査し、また、長・・・ 太宰治 「地球図」
・・・今ごろ備中総社の町の人たちは裏山の茸狩に、秋晴の日の短きを歎いているにちがいない。三門の町を流れる溝川の水も物洗うには、もう冷たくなり過ぎているであろう。 待つ心は日を重ね月を経るに従って、郷愁に等しき哀愁を醸す。郷愁ほど情緒の美しきも・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ 与力の座を立ったあとへ、城代太田備中守資晴がたずねて来た。正式の見回りではなく、私の用事があって来たのである。太田の用事が済むと、佐佐はただ今かようかようの事があったと告げて自分の考えを述べ、さしずを請うた。 太田は別に思案もない・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫