・・・ 幾度か子供等に催促されて、彼はよう/\腰をおこして、好い加減に酔って、バーを出て電車に乗った。「何処へ行くの?」「僕の知ってる下宿へ」「下宿? そう……」 子供等は不安そうに、電車の中で幾度か訊いた。 渋谷の終点で・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・郷里の伯母などに催促され、またこの三周忌さえすましておくと当分厄介はないと思い、勇気を出して帰ることにしたのだが、そんな場合のことでいっそう新聞のことが業腹でならなかった。そんなことで、自分はその日酒を飲んではいたが、いくらかヤケくそな気持・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・ と言う声が聞えて、寺のお婆さんが取次いで持ってきてくれたが、原稿催促の電報だろうと手に取ってみると、差出人が妻の名だったので、私はハッとして息を呑んだ。「雪子が死んだ……」そう思うと封を切る手が慄えた。――チチシスアサ七ジウエノツク―・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・今日の婦人の職業的進出は一面たしかに婦人の生活欲望の開発と拡充との線にそえるものではあるが、他面においては生活のための余儀なき催促によるものである。男子が独力で妻子を養うことができないための共稼ぎの必要によるものである。適当の収入さえあれば・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
・・・これ、こんな催促の手紙が来とるんだぞ!」 朝、深沢洋行のおやじは、ねむげな眼に眼糞をつけて支那人部屋にはいってきた。呉清輝と田川とは、傷の痛さに唸りながら、半ば、うつらうつらしつつ寝台に横たわっていた。おやじは、いきなり、ペーチカの横の・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・いに気まずく笑い声はお隣のおばさんにも下し賜わらず長火鉢の前の噛楊子ちょっと聞けば悪くないらしけれど気がついて見れば見られぬ紅脂白粉の花の裏路今までさのみでもなく思いし冬吉の眉毛の蝕いがいよいよ別れの催促客となるとも色となるなとは今の誡めわ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ 何かよい事でも期待するように、次郎は弟や妹を催促した。火鉢の周囲には三人の笑い声が起こった。「だれだい、負けた人は。」「僕だ。」と答えるのは三郎だ。「じゃんけんというと、いつでも僕が貧乏くじだ。」「さあ、負けた人は、郵便箱・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・けれども、あの病気中の借銭に就いては、誰もそれを催促する人は無かったが、私は夜の夢の中でさえ苦しんだ。私は、もう三十歳になっていた。 何の転機で、そうなったろう。私は、生きなければならぬと思った。故郷の家の不幸が、私にその当然の力を与え・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・私もさっそく四人の大学生の間に割込んで、先生の御高説を拝聴したのであるが、このたびの論説はなかなか歯切れがよろしく、山椒魚の講義などに較べて、段違いの出来栄えのようであったから、私は先生から催促されるまでも無く、自発的に懐中から手帖を出して・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・関君と柴田流星君が毎日のように催促に来る。社のほうだってそう毎日休むわけには行かない。夜は遅くまで灯の影が庭の樹立の間にかがやいた。 反響はかなりにあった。新時代の作物としてはもの足らないという評、自分でも予期していた評がかなり多かった・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
出典:青空文庫