・・・ 後年、有島武郎が客観的に見れば平凡と云い得る女主人公葉子に対して示した作家的傾倒の根源は既に遠い昔に源をもっていることを理解し得るのである。 作者が独立教会からも脱退し、キリスト教信者の生活、習俗に対して深い反撥を感じていた時・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・なにか、芭蕉の句を引いて、芭蕉の芸術境に対する自己の傾倒をのべた一文があった。引用されている句の中には「あか/\と日は難面も秋の風」「馬をさへながむる雪の朝哉」そのほか心に刻まれた句があった。藤村氏は、それらに対する味到の心持をのべている。・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・それも、或る種の娘さんの性格や感情には一つの快感であるのかもしれないけれども、そこには極めて微妙な女性の被虐的美感への傾倒も感じられなくはない。能の、動きの節約そのものの性質のなかには、明らかに日本の中世の社会生活からもたらされた被虐性、情・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・であり、文学者の従来の生活には少なかった政治家、軍人等との接触の物珍らしさは、一部の作家が過去に於ては国際的な政治経済知識を著しく欠いていたという一面の無識から受ける驚きと相俟って、意外に安易な卑近な傾倒の感情を引き起していることも見られる・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・ジイドは、赤い広場で行われたゴーリキイの感動的な葬儀に参加し、衷心からソヴェトの大衆に向って新世界に対する自己の傾倒を語り、それから約二ヵ月ソ連邦のあちらこちらを旅行した。「鋼鉄はいかに鍛えられたか」の著者、オストロフスキーをもわざわざ南露・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・暗くて寒いドイツ生れのゲーテが、あれほど大部なイタリー紀行を書いた秘密の一つは、彼が古典芸術へ深く傾倒していたことのほかに、こういう微妙なところにもある。ロシアのように広大な国土のところでは、一口にロシアの詩人、作家といっても、黒海沿岸、南・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・ シラノ・ド・ベルジュラックを白野弁十郎として演じたのは、沢正一代の傑作であり、特質を全幅に活かしたものであったろうが、母もその頃は、お孝さんの傾倒に十分の同感をもつようになっていた。 段々接触が多くなるにつれ、お孝さんは母のいいと・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・手のひらと眼玉がそれらの本に吸いつくという感じで、全心を傾倒した。 五十銭銀貨を何枚かもって、電車にのって神田へ本を買いにゆく。本を買いにゆく。それは全く感動に堪えない一つの行事であった。今でも本を買う特別な親愛の心はやはり微かな亢奮を・・・ 宮本百合子 「祖父の書斎」
・・・例えば中河与一氏の万葉精神に対する主観的傾倒と佐佐木信綱氏が万葉学者として抱いていられる万葉精神に対する客観的見解とは必ずしも全部一致しがたいと見るのが当然であろう。また、保田与重郎君の幻想と小宮豊隆氏の高度な知的ディレッタンティズムが肩と・・・ 宮本百合子 「近頃の話題」
・・・のなかでは、彼女の知性が人生における一つの味、哀憐の趣というようなものへの傾倒のために弱められて女主人公「光ほのか」が、自分の生涯にかかわる愛さえ正当には守れなかった瞬間に対して、女として心から表すべき遺憾の感情を喪っている。自分の主観のな・・・ 宮本百合子 「知性の開眼」
出典:青空文庫