・・・その内に運が向いて来たのか、三年目の夏には運送屋の主人が、夫の正直に働くのを見こんで、その頃ようやく開け出した本牧辺の表通りへ、小さな支店を出させてくれました。同時に女も奉公をやめて、夫と一しょになった事は元より云うまでもありますまい。・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・たといクロポトキンの所説が労働者の覚醒と第四階級の世界的勃興とにどれほどの力があったにせよ、クロポトキンが労働者そのものでない以上、彼は労働者を活き、労働者を考え、労働者を働くことはできなかったのだ。彼が第四階級に与えたと思われるものは第四・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・――塩で釣出せぬ馬蛤のかわりに、太い洋杖でかッぽじった、杖は夏帽の奴の持ものでしゅが、下手人は旅籠屋の番頭め、這奴、女ばらへ、お歯向きに、金歯を見せて不埒を働く。」「ほ、ほ、そか、そか。――かわいや忰、忰が怨は番頭じゃ。」「違うでし・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・そのかわりに、一家手ぞろいで働くという時などには随分はげしき労働も見るほどに苦しいものではない。朝夕忙しく、水門が白むと共に起き、三つ星の西に傾くまで働けばもちろん骨も折れるけれど、そのうちにまた言われない楽しみも多いのである。 各好き・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・「それでも、君、戦争でやった真剣勝負を思うたら、世の中でやっとることが不真面目で、まどろこしうて、下らん様に見えて、われながら働く気にもなれん。きのうもゆう方、君が来て呉れるというハガキを見てから、それをほところに入れたまま、ぶらぶら営所の・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・沼南統率下の毎日新聞社の末期が惰気満々として一人も本気に働くものがなかったのはこれがためであった。 松隈内閣だか隈板内閣だかの組閣に方って沼南が入閣するという風説が立った時、毎日新聞社にかつて在籍して猫の目のようにクルクル変る沼南の朝令・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・お父さんや、お母さんは、だんだん年をとって、働くことができなくなります。その時分には、おまえたちは大きくなって世の中のためにつくし、また、家のために力とならなければならない。そして、私たちの力でできなかったことをもやりとげなければならないの・・・ 小川未明 「赤い実」
・・・そんな訳で、奉公したては、旦那が感心するくらい忠実に働くのだが、少し飽きてくると、もういたたまれなくなって、奉公先を変えてしまうのです。 十五の歳から二十五の歳まで十年の間、白、茶、青と三つの紐の色は覚えているが、あとはどんな色の紐の前・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・「何と云って君はジタバタしたって、所詮君という人はこの魔法使いの婆さん見たいなものに見込まれて了っているんだからね、幾ら逃げ廻ったって、そりゃ駄目なことさ、それよりも穏なしく婆さんの手下になって働くんだね。それに通力を抜かれて了った悪魔・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・塩の方で失くすという始末、俳諧の一つもやる風流気はありながら店にすわっていて塩焼く烟の見ゆるだけにすぐもうけの方に思い付くとはよくよくの事と親類縁者も今では意見する者なく、店は女房まかせ、これを助けて働く者はお絹お常とて一人は主人の姪、一人・・・ 国木田独歩 「置土産」
出典:青空文庫