・・・ 太古のエジプトでは、僧侶が人の病をいやす役目もはたしていたという文明の発端から、人類の医療の父として語られるヒポクラテスの話におよびさらに、ウィリアム・ハーヴェーの血液循環の発見があり、やがてパストゥールによって細菌が発見されたのも、・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・農村、都会とも、小学校はギリシア正教の僧侶に管理された。貧農、雇女の子供は中学にさえ入れなかった。猶太人を或る大学では拒絶した。「十月」は、翻る赤旗とともに、すべてこういうプロレタリア、農民への重石をはねのけ、猛然と文盲撲滅をはじめた。・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・聖書をもって派遣された魂の仲買人である僧侶たちに麻酔をかけられる教会・神を批判したソヴェト・プロレタリアートに「日曜日」は何を意味するであろう。要するに、七日目に一度廻ってくる休養日ではないか? では、例えばソヴェトじゅうの工場と役所とが日・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・これまでは宗玄をはじめとして、既西堂、金両堂、天授庵、聴松院、不二庵等の僧侶が勤行をしていたのである。さて五月六日になったが、まだ殉死する人がぽつぽつある。殉死する本人や親兄弟妻子は言うまでもなく、なんの由縁もないものでも、京都から来るお針・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・しかし僧侶や道士というものに対しては、なぜということもなく尊敬の念を持っている。自分の会得せぬものに対する、盲目の尊敬とでも言おうか。そこで坊主と聞いて逢おうと言ったのである。 まもなくはいって来たのは、一人の背の高い僧であった。垢つき・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・道教に観があるのは、仏教に寺があるのと同じ事で、寺には僧侶が居り、観には道士が居る。その観の一つを咸宜観と云って女道士魚玄機はそこに住んでいたのである。 玄機は久しく美人を以て聞えていた。趙痩と云わむよりは、むしろ楊肥と云うべき女である・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・ 初め討手が門外から門をあけいと叫んだとき、あけて入れたら、乱暴をせられはすまいかと心配して、あけまいとした僧侶が多かった。それを住持曇猛律師があけさせた。しかし今三郎が大声で、逃げた奴を出せと言うのに、本堂は戸を閉じたまま、しばらくの・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・主人の僧侶は、どんな手ひどいことを伯母から云われても、表情を怒らしたことがなかった。「お光、お前はそんなこと云うけれども、まアまア、」 といつも云うだけで、どういう心の習練か恐るべき寛容さを持ちつづけて崩さなかった。 四番目の叔・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・狂熱的な僧侶の反動もただ大勢に一つの色彩を加えたに過ぎなかった。しかし再興せられた偶像はもはや礼拝せらるべき神ではない。何人もその前に畜獣を屠って供えようとはしなかった。何人もその手に自己の運命を委ねようとはしなかった。人々に身震いをさせた・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・後者は、その時代の僧侶がいかに人間の肉体の上にも勢力を持っていたかを明示している二三の著しい社会的現象によって、いや応なしに証明せられている。この特徴は、多少形を変えてはいるが、後来日本に発生したあらゆる宗教に必ず現われている。たとえば、日・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫