・・・一番まん中なのは、鏑木清方君の元禄女で、その下に小さくなっているのは、ラファエルのマドンナか何からしい。と思うとその元禄女の上には、北村四海君の彫刻の女が御隣に控えたベエトオフェンへ滴るごとき秋波を送っている。但しこのベエトオフェンは、ただ・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・を奪われたる現状に対して、不思議なる方法によってその敬意と服従とを表している。元禄時代に対する回顧がそれである。見よ、彼らの亡国的感情が、その祖先が一度遭遇した時代閉塞の状態に対する同感と思慕とによって、いかに遺憾なくその美しさを発揮してい・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 元禄の頃の陸奥千鳥には――木川村入口に鐙摺の岩あり、一騎立の細道なり、少し行きて右の方に寺あり、小高き所、堂一宇、継信、忠信の両妻、軍立の姿にて相双び立つ。軍めく二人の嫁や花あやめ また、安永中の続奥の細道には――故将・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 寒月の名は西鶴の発見者及び元禄文学の復興者として夙に知られていたが、近時は画名が段々高くなって、新富町の焼けた竹葉の本店には襖から袋戸や扁額までも寒月ずくめの寒月の間というのが出来た位である。寒月の放胆無礙な画風は先人椿岳の衣鉢を承け・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・義理人情の世界、経済の世界が大阪ではない。元禄の大坂人がどんな風に世の中を考え、どんな風に生きたかを考えれば判ることである。まして、東京が考えているエンタツ、アチャコだけが大阪ではない。通俗作家が大阪を歪めてしまったのである。 してみれ・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・この窟地理の書によるに昇降およそ二町半ばかり、一度は禅定すること廃れしが、元禄年中三谷助太夫というものの探り試みしより以来また行わるるに至りしという。窟のありさまを考うるに、あるいは闊くなりあるいは狭くなり、あるいは上りあるいは下り、極めて・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・白い紙に、元禄時代の女のひとが行儀わるく坐り崩れて、その傍に、青い酸漿が二つ書き添えられて在る。この扇子から、去年の夏が、ふうと煙みたいに立ちのぼる。山形の生活、汽車の中、浴衣、西瓜、川、蝉、風鈴。急に、これを持って汽車に乗りたくなってしま・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・でない生活をして、そのうちに、世界美術全集などを見て、以前あんなに好きだったフランスの印象派の画には、さほど感心せず、このたびは日本の元禄時代の尾形光琳と尾形乾山と二人の仕事に一ばん眼をみはりました。光琳の躑躅などは、セザンヌ、モネー、ゴー・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・ 西鶴の人についてもあまりに何事も知らな過ぎるから、この際の参考のためにと思って手近にあった徳富氏著『近世日本国民史、元禄時代』を見ていると、その中に近松と西鶴との比較に関する蘇峰氏の所説があって、その一説に「西鶴のその問題を取扱うや、・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・そういう意味から言って現代の俳諧に元禄時代のような句ばかり作ろうとするのは愚かなことであろう。 連句の変化を豊富にし、抑揚を自在にし、序破急の構成を可能ならしむるために神祇釈教恋無常が適当に配布される。そうして「雑の句」が季題の句と同等・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫