・・・父はすでに歿し、母は病身ゆえ、少年の身のまわり一切は、やさしい嫂の心づくしでした。少年は、嫂に怜悧に甘えて、むりやりシャツの襟を大きくしてもらって、嫂が笑うと本気に怒り、少年の美学が誰にも解せられぬことを涙が出るほど口惜しく思うのでした。「・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・それから、嫂に挨拶した。上品な娘さんがお茶を持って来たので、私は兄の長女かと思って笑いながらお辞儀をした。それは女中さんであった。 背後にスッスッと足音が聞える。私は緊張した。母だ。母は、私からよほど離れて坐った。私は、黙ってお辞儀をし・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・昨年の夏、北さんに連れられてほとんど十年振りに故郷の生家を訪れ、その時、長兄は不在であったが、次兄の英治さんや嫂や甥や姪、また祖母、母、みんなに逢う事が出来て、当時六十九歳の母は、ひどく老衰していて、歩く足もとさえ危かしく見えたけれども、決・・・ 太宰治 「故郷」
・・・青森の中学校を出て、それから横浜の或る軍需工場の事務員になって、三年勤め、それから軍隊で四年間暮し、無条件降伏と同時に、生れた土地へ帰って来ましたが、既に家は焼かれ、父と兄と嫂と三人、その焼跡にあわれな小屋を建てて暮していました。母は、私の・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・ よき師よ。 よき兄よ。 よき友よ。 よき兄嫁よ。 姉よ。 妻よ。 医師よ。 亡父も照覧。「うちへかえりたいのです。」 柿一本の、生れ在所や、さだ九郎。 笑われて、笑われて、つよく・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・スルメを落してがっかりするなんて、下品な事で恥ずかしいのですが、でも、私はそれをお嫂さんにあげようと思っていたの。うちのお嫂さんは、ことしの夏に赤ちゃんを生むのよ。おなかに赤ちゃんがいると、とてもおなかが空くんだって。おなかの赤ちゃんと二人・・・ 太宰治 「雪の夜の話」
・・・しかし国へ帰っても自分のうちへ帰るのではない――兄と嫂の家――苦しい事は同じだ。私は自分をどうする事もできない。しかし私はこうしていても、ついには田舎で貧しくとも静かに生活するという、私が自分を省みてのただ一つの望みが満たさるる時が来る事は・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・、旅行先から急電によって、兄の見舞いに来たので、ほんの一二枚の著替えしかもっていなかったところから、病気が長引くとみて、必要なものだけひと鞄東京の宅から送らせて、当分この町に滞在するつもりであったが、嫂も看護に行っていて、留守宅には女中が二・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・仙台は仙台で、三歳になる子まである嫂さんがあるでしょう。それだのに、兄さんが万一、』『ええ、聞く耳が無い。』と、其の兄さんはつと体を退いて、向側の窓の方に腰を卸してお了いでした。『兄さん兄さん。』と、窓につかまって伸上り伸上りして、・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・殊更夫の兄嫂は厚敬ふべし。我昆姉と同じくすべし。 兄公女公に敬礼を尽して舅姑の感情を傷わず、と睦じくして夫の兄嫂に厚くするは、家族親類に交わるの義務にして左もある可きことなれども、夫の兄と嫂とは元来骨肉の縁なきものなるに、之を自・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫