・・・「よくご存じでございます。先刻あちらの厨で、寒山と申すものと火に当っておりましたから、ご用がおありなさるなら、呼び寄せましょうか」「ははあ。寒山も来ておられますか。それは願ってもないことです。どうぞご苦労ついでに厨にご案内を願いましょう・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・「馬車はまだかのう?」 歪んだ畳の上には湯飲みが一つ転っていて、中から酒色の番茶がひとり静に流れていた。農婦はうろうろと場庭を廻ると、饅頭屋の横からまた呼んだ。「馬車はまだかの?」「先刻出ましたぞ。」 答えたのはその家の・・・ 横光利一 「蠅」
・・・ もし突然私の身の上に「死」が迫って来た時、私はただ恐怖に慄えるばかりだろうか、あるいはこれを悪魔の業として呪うだろうか、もしくはまた神の摂理として感謝をもって受けるだろうか。 もし先刻の事件をもって推論することが許されるなら、私は・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫