・・・ニイチェは如何にその師匠に叛逆し、昔の先生を「老いたる詐欺師」と罵つたところで、結局やはりショーペンハウエルの変貌した弟子にすぎない。彼はショーペンハウエルが揚棄した意志を、他の一端で止揚したまでである。あの小さな狡猾さうな眼をした、梟のや・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・蓋し女大学の記者は有名なる大先生なれども、一切万事支那流より割出して立論するが故に、男尊女卑の癖は免かる可らず。実際の真面目を言えば、常に能く夜を守らずして内を外にし、動もすれば人を叱倒し人を虐待するが如き悪風は男子の方にこそ多けれども、其・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・さるを今の作者の無智文盲とて古人の出放題に誤られ、痔持の療治をするように矢鱈無性に勧懲々々というは何事ぞと、近頃二三の学者先生切歯をしてもどかしがられたるは御尤千万とおぼゆ。主人の美術定義を拡充して之を小説に及ぼせばとて同じ事なり。抑々小説・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・友人等はこの男を「先生」と称している。それには冷かす心持もあるが、たしかに尊敬する意味もある。この男の物を書く態度はいかにも規則正しく、短い間を置いてはまた書く。その間には人指し指を器械的に脣の辺まで挙げてまた卸す。しかし目は始終紙を見詰め・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・葉の色などには最も窮したが、始めて絵の具を使ったのが嬉しいので、その絵を黙語先生や不折君に見せると非常にほめられた。この大きな葉の色が面白い、なんていうので、窮した処までほめられるような訳で僕は嬉しくてたまらん。そこでつくづくと考えて見るに・・・ 正岡子規 「画」
・・・けれども菊池先生はみんな除らせた。花が咲くのに支柱があっては見っともないと云うのだけれども桜が咲くにはまだ一月もその余もある。菊池先生は春になったのでただ面白くてあれを取ったのだとおもう。その古い縄だの冬の間のごみだの運動場の隅へ集めて・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・校長先生の息子さんの経営で軍需インフレで繁栄している工場へ働いて、貰ったいくばくかの金を再び学校で、その阿母さんに払うのだとしたら、それらの可憐な女学生女工の二時間の労働というものの実質は、どこでどのように支払われたということになるのだろう・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・いつでも「木村先生一派の風俗壊乱」という詞が使ってある。中にも西洋の誰やらの脚本をある劇場で興行するのに、木村の訳本を使った時にこのお極りの悪口が書いてあった。それがどんな脚本かと云うと、censure の可笑しい程厳しいウィインやベルリン・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・「先生、私の足、こんなに膨れて来て、どうしたんでございましょう。」「いや、それは何んでもありません。御心配なさいますな。何んでもありませんから。」と医師は誤魔化した。 ――水が足に廻り出したのだ。 ――もう、駄目だ。と彼は思・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・夏目先生はカラマゾフ兄弟のある点をディクンスに比して非難された。その時私は承服し兼ねたが、しかし考えてみると私はディクンスの本体を知らない。それにドストイェフスキイには浪漫派らしい弱点がある。恐らく夏目先生の非難は当たっているのだろう。・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫