・・・ ところが晩成先生は、多年の勤苦が酬いられて前途の平坦光明が望見せらるるようになった気の弛みのためか、あるいは少し度の過ぎた勉学のためか何か知らぬが気の毒にも不明の病気に襲われた。その頃は世間に神経衰弱という病名が甫めて知られ出した時分・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・事実は知らず、転向という文字には、救いも光明も意味されている筈である。そんなら、かれの場合、これは転向という言葉さえ許されない。廃残である。破産である。光栄の十字架ではなく、灰色の黙殺を受けたのである。ざまのよいものではなかった。幕切れの大・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ひとに憩いを与え、光明を投げてやるような作品を書くのに、才能だけではいけないようです。もしも、あなたがこれから十年二十年とこのにくさげな世のなかにどうにかして炬火きどりで生きとおして、それから、もいちど忘れずに私をお呼びくだされたなら、私、・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・とか、それからこれはまだ一部しか見ていないが入沢医学博士の近刊随筆集など、いずれも科学者でなければ書けなくて、そうして世人を啓発しその生活の上に何かしら新しい光明を投げるようなものを多分に含んでいる。それから、自分の知っている狭い範囲内でも・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・それを追跡し分析し研究することはわれわれならびに未来の日本人にとってきわめて興味あり有意義であるのはもちろんであるが、そのような研究に意外な光明を投げるような発見の糸口があるいはかえってこうした草稿の断片の中に見いだされないとも限らないであ・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・人間が懺悔して赤裸々として立つ時、社会が旧習をかなぐり落して天地間に素裸で立つ時、その雄大光明な心地は実に何ともいえぬのである。明治初年の日本は実にこの初々しい解脱の時代で、着ぶくれていた着物を一枚剥ねぬぎ、二枚剥ねぬぎ、しだいに裸になって・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・自分より豪いもの自分より高いものを望む如く、現在よりも将来に光明を発見せんとするものである。以上述べた如くローマンチシズムの思想即ち一の理想主義の流れは、永久に変ることなく、深く人心の奥底に永き生命を有しているものであります。従ってローマン・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・そうして単にその説明だけでも日本の文壇には一道の光明を投げ与える事ができる。――こう私はその時始めて悟ったのでした。はなはだ遅まきの話で慚愧の至でありますけれども、事実だから偽らないところを申し上げるのです。 私はそれから文芸に対する自・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・不思議にも、その小さい物が、この闇夜に漏れて来る一切の光明を、ことごとく吸収して、またことごとく反射するようである。 爺いさんは云った。「なんだか知っているかい。これは青金剛石と云う物だ。世界に二つと無い物で、もう盗まれてから大ぶの年が・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・人生は無意味だとは感じながらも、俺のやってる事は偽だ、何か光明の来る時期がありそうだとも思う。要するに無茶さ。だから悪い事をしては苦悶する。……為は為ても極端にまでやる事も出来ずに迷ってる。 そこでかれこれする間に、ごく下等な女に出会っ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
出典:青空文庫