・・・しかしやがて疲労は凡てを征服した。死のような眠りが三人を襲った。 遠慮会釈もなく迅風は山と野とをこめて吹きすさんだ。漆のような闇が大河の如く東へ東へと流れた。マッカリヌプリの絶巓の雪だけが燐光を放ってかすかに光っていた。荒らくれた大きな・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・という事であるのを忘れて了って、既に従来の道徳は必然服従せねばならぬものでない以上、凡ての夫が妻ならぬ女に通じ、凡ての妻が夫ならぬ男に通じても可いものとし、乃至は、そうしない夫と妻とを自覚のない状態にあるものとして愍れむに至っては、性急もま・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ これで思出したが、この魔のやることは、凡て、笑声にしても、唯一人で笑うのではなく、アハハハハハと恰も数百人の笑うかの如き響をするように思われる。 私が曾て、逗子に居た時分その魔がさしたと云う事について、こう云う事がある、丁度秋の中・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・打撃はもとより深酷であるが、きびきびと問題を解決して、総ての懊悩を一掃した快味である。わが家の水上僅かに屋根ばかり現われおる状を見て、いささかも痛恨の念の湧かないのは、その快味がしばらくわれを支配しているからであるまいか。 日は暮れんと・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・この通弊は単に画のみの問題でなく、また独り日本ばかりの問題でもない。総ての公平な判断や真実の批評は常に民族的因襲や国民的偏見に累わされない外国人から聞かされる。就中、芸術の真価が外国人の批評で確定される場合の多いは啻に日本の錦絵ばかりではな・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「それが反対になって、わたくしが勝ってしまいました時、わたくしはただ名誉を救っただけで、恋愛を救う事が出来なかったのに気が付きました。総ての不治の創の通りに、恋愛の創も死ななくては癒えません。それはどの恋愛でも傷けられると、恋愛の神が侮・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
私は母の愛というものに就いて考える。カーライルの、母の愛ほど尊いものはないと云っているが、私も母の愛ほど尊いものはないと思う。子供の為めには自分の凡てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てゝ行くという・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・私は暫く考えていましたが、願わくば臨終正念を持たしてやりたいと思いまして「もうお前の息苦しさを助ける手当はこれで凡て仕尽してある。是迄しても楽にならぬでは仕方がない。然し、まだ悟りと言うものが残っている。若し幸にして悟れたら其の苦痛は無くな・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・「そうです、それで僕の総ての希望が悉く水の泡となって了いました」と岡本の言葉が未だ終らぬうち近藤は左の如く言った、それが全で演説口調、「イヤどうも面白い恋愛談を聴かされ我等一同感謝の至に堪えません、さりながらです、僕は岡本君の為めに・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・同じく祭りのための設けとは知られながら、いと長き竿を鉾立に立てて、それを心にして四辺に棒を取り回し枠の如くにしたるを、白布もて総て包めるものありて、何とも悟り得ず。打見たるところ譬えば糸を絡う用にすなるいとわくというもののいと大なるを、竿に・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫