・・・予の死後の名声は如何? 答 ある批評家は「群小詩人のひとり」と言えり。 問 彼は予が詩集を贈らざりしに怨恨を含めるひとりなるべし。予の全集は出版せられしや? 答 君の全集は出版せられたれども、売行きはなはだ振わざるがごとし。・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・その部屋のカミンに燃えている火も、火かげの映った桃花心木の椅子も、カミンの上のプラトオン全集も確かに見たことのあるような気がした。この気もちはまた彼と話しているうちにだんだん強まって来るばかりだった。僕はいつかこう云う光景は五六年前の夢の中・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・話題は多分刊行中の長塚節全集のことだったであろう。島木さんは談の某君に及ぶや、苦笑と一しょに「下司ですなあ」と言った。それは「下」の字に力を入れた、頗る特色のある言いかただった。僕は某君には会ったことは勿論、某君の作品も読んだことはない。し・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・が、中でもいちばん大部だったのは、樗牛全集の五冊だった。 自分はそのころから非常な濫読家だったから、一週間の休暇の間に、それらの本を手に任せて読み飛ばした。もちろん樗牛全集の一巻、二巻、四巻などは、読みは読んでもむずかしくって、よく理窟・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・「ドストエフスキイ全集です。『罪と罰』はお読みですか?」 僕は勿論十年前にも四五冊のドストエフスキイに親しんでいた。が、偶然彼の言った『罪と罰』と云う言葉に感動し、この本を貸して貰った上、前のホテルへ帰ることにした。電燈の光に輝いた・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・が、紅葉も露伴も飽かれた今日、緑雨だけが相変らず読まれて、昨年縮印された全集がかなりな部数を売ったというは緑雨の随喜者が今でもマダ絶えないものと見える。緑雨は定めし苔の下でニヤリニヤリと脂下ってるだろう。だが、江戸の作者の伝統を引いた最後の・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
二葉亭四迷の全集が完結してその追悼会が故人の友人に由て開かれたについて、全集編纂者の一人としてその遺編を整理した我らは今更に感慨の念に堪えない。二葉亭が一生自ら「文人に非ず」と称したについてはその内容の意味は種々あろうが、要するに、「・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・就中ヘルチェンは晩年までも座辺から全集を離さなかったほど反覆した。マルクスの思想をも一と通りは弁えていた。が、畢竟は談理を好む論理遊戯から愛読したので、理解者であったが共鳴者でなかった。書斎の空想として興味を持っても実現出来るものともまた是・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・例えば現時の文学に対しても、露伴を第一人者であると推しながらも、座右に置いたのは紅葉全集であった。近松でも西鶴でも内的概念よりはヨリ多くデリケートな文章味を鑑賞して、この言葉の綾が面白いとかこの引掛けが巧みだとかいうような事を能く咄した。ま・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 一時の世評によって、其等の作家は全集ともなり、文化を飾るに過ぎぬのである。もし其の暇と余裕があるならば、各作家の作品を新に読み返すことは真の文芸史を書く上から無意義であるまい。 小川未明 「ラスキンの言葉」
出典:青空文庫