・・・難を去って易につくのは常に天下の公道である。この公道を代表する「順天時報」の主筆牟多口氏は半三郎の失踪した翌日、その椽大の筆を揮って下の社説を公にした。――「三菱社員忍野半三郎氏は昨夕五時十五分、突然発狂したるが如く、常子夫人の止むるを・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・基線道路と名づけられた場内の公道だったけれども畦道をやや広くしたくらいのもので、畑から抛り出された石ころの間なぞに、酸漿の実が赤くなってぶら下がったり、轍にかけられた蕗の葉がどす黒く破れて泥にまみれたりしていた。彼は野生になったティモシーの・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ペーガン的恋愛論者がいかに嘲っても、これが恋愛の公道であり、誓いも、誠も、涙も皆ここから出てくるのだ。二人の運命を――その性慾や情緒をだけでなく――ひとつに融合しようとするものでなくては恋愛ではない。この愛らしの娘は未来のわが妻であると心に・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ すべてこれ人間の私情に生じたることにして天然の公道にあらずといえども、開闢以来今日に至るまで世界中の事相を観るに、各種の人民相分れて一群を成し、その一群中に言語文字を共にし、歴史口碑を共にし、婚姻相通じ、交際相親しみ、飲食衣服の物、す・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ここは山のかいにて、公道を距ること遠ければ、人げすくなく、東京の客などは絶て見えず、僅に越後などより来りて浴する病人あるのみ。宿とすべき家を問うにふじえやというが善しという。まことは藤井屋なり。主人驚きて簷端傾きたる家の一間払いて居らす。家・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫