・・・往昔、兵馬倥※武門勇を競い、風流まったく廃せられし時と雖も、ひとり茶道のみは残りて存し、よく英雄の心をやわらげ、昨日は仇讐相視るの間も茶道の徳に依りて今日は兄弟相親むの交りを致せしもの少しとせずとやら聞及申候。まことに茶道は最も遜譲の徳を貴・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・結局政府に限りて人民の私に行うべからざる政は、裁判の政なり、兵馬の政なり、和戦の政なり、租税の政なり、この他わずかに数カ条にすぎず。 されば人民たる者が一国にいて公に行うべき事の箇条は、政府の政に比して幾倍なるを知るべからず。外国商売の・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・これすなわち学者に兵馬の権を仮さずして、みだりに国政を是非せしめず、罪を犯すものは国律をもってこれを罰するゆえんなり。 ゆえに世の富豪・貴族、もしくは政をとるの人、天理人道の責を重んじ、心を虚にして気を平にし、内に自からかえりみて、はた・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ これより余は著述に従事し、もっぱら西洋の事情を日本人に示して、古学流の根底よりこれを顛覆せんことを企てたる、その最中に、王政維新の事あり。兵馬匆卒の際、言論も自由なれば、思うがままに筆を揮うてはばかるところなく、有形の物については物理・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・我が王朝文弱の時代にその風を成し、玉の盃底なきが如しなどの語は、今に至るまで人口に膾炙する所にして、爾後武家の世にあっては、戸外兵馬の事に忙わしくして内を修むるに遑なく、下って徳川の治世に儒教大いに興りたれども、支那の流儀にして内行の正邪は・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫