・・・自分は不幸にして未来派の画やカンジンスキーのシンクロミーなどというものに対して理解を持ち兼ねるものであるが、ただ三色版などで見るこれらの絵について自分が多少でも面白味を感ずる色彩の諧調は津田君の図案帖に遺憾なく現われている。時には甚だしく単・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・情において興味を有するからと云うて心理学者のように情だけを抽象して、これを死物として取扱えば文芸的にはなり兼ねるのであります。もっとも当体が情であるだけに、知意に比すると比較的抽象化しても物にならんとは限りませんが、これを詳しく説明する余裕・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・で今日は出ましたので、演説をする前に言訳がましい事をいうのは甚だ卑怯なようでありますけれども、大して面白い事も御話は出来ないと思いますし、また問題があっても、学校の講義見たように秩序の立った御話は出来兼ねるだろうと思います。安倍君曰く、何を・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・そもそもこのペンすなわち内の下女なるペンになぜ我輩がこの渾名を呈したかと云うと、彼は舌が短かすぎるのか長すぎるのか呂律が少々廻り兼ねる善人なる故に I beg your pardon と云う代りにいつでも bedge pardon と云うか・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ 真青な顔をして、あの黒子を震わせていた禰宜様宮田は、気を兼ねるように、猛り立つお石の袂を引っぱった。が彼女はもう止められないほど気が立っている。 邪慳に彼の手を払いのけるとまた一にじり膝行り出て、「何ぼう、はあ金持だあ、海老屋・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 二十三で権中納言、二十七で従二位中宮太夫となった道長は、三十歳の長徳元年、左近衛の大将を兼ねるようになったが、その前後に、大臣公卿が夥しく没した。その年のうちにも三月二十八日に閑院大納言、四月十日には中関白。小一條左大将済時卿は四月二・・・ 宮本百合子 「余録(一九二四年より)」
・・・それは時と場合とに依る事で、わしもきっととは云い兼ねる。出来る事なら、どうにでもしてお前をその場へ呼んで遣るのだ。万一間に合わぬ事があったら、それはお前が女に生れた不肖だと、諦めてくれるより外ない」「それ御覧遊ばせ。わたくしはどうしても・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・一言で評すれば、子守あがり位にしか、値踏が出来兼ねるのである。 意外にもロダンの顔には満足の色が見えている。健康で余り安逸を貪ったことの無い花子の、いささかの脂肪をも貯えていない、薄い皮膚の底に、適度の労働によって好く発育した、緊張力の・・・ 森鴎外 「花子」
・・・ ところで右にあげたような藤村の好みのなかにはっきりと現われている独自な性格は、それが無遠慮に発揮されないで、何となく人の気を兼ねるという色合いを持っていることである。 昔の日本人は、他人に見える着物の表面を質素なものにし、見え・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
・・・左右に気を兼ねるようであればこの気合いが出ない。思い切ってパッと出てしまうのである。ところでこの気合いは弾き出しの時に限らない。あらゆる瞬間がそれである。刻々として気合いを合わせて行かなければ舞台は生きるものではない。この話は我々に「指揮者・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫