・・・少女の何人かを逸早く米国に送ってそれを北海道の開拓者の内助者たらしめようとしたこともある。当時米国の公使として令名のあった森有礼氏に是非米国の婦人を細君として迎えろと勤めたというのもその人だ。然し黒田氏のかゝる気持は次代の長官以下には全く忘・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・何の内助の才能もなく、一生の負荷となるような女性と、きわめて不相応な時機に、ただ運命的な恋愛のみの故で、はなれ難く結びつくことはあり得るものだ。そして恋愛と結婚との真実の根拠はこの運命的な恋愛のみの上にあるのであって、その他は善悪とも付加条・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・何とか自分の生活を立て直し、適当な内助者を得て、今よりも自然に静かな晩年に達したいと思うからです。 この手紙はおまえばかりでなく、鶏ちゃんにも柳ちゃんにも読んでもらうつもりで書きました。いずれ蓊ちゃんにもこのことを報告しましょう。一体な・・・ 島崎藤村 「再婚について」
・・・が之を弥縫して大破裂に及ばざることあるも、主人早世などの大不幸に遭うときは、子女の不取締、財産の不始末、一朝にして大家の滅亡を告ぐるの例あるに反し、賢婦人が能く内を治めて愚鈍なる主人も之に依頼し、所謂内助の力を以て戸外の体面を全うするものあ・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・当時日進月歩であった新日本の足どりにおくれて手足まといとならない範囲に開化して、しかも過去の自由民権時代の女流のように男女平等論などを論ぜず内助の功をあげることを終生のよろこびとする、そのような女を、明治の日本は理想の娘、妻、母として描き出・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
・・・女の教育も女学校が三十二年かにできて、女は内助者としての学問があればいいということに文部省で決めました。ですから、女の教育程度は明治の初めにおいては高かった、文学をつくる素質も高かった。そうして自分の能力を発揮することもできました。けれども・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・文部省は、女子の社会的存在意味を男のための内助者としての範囲に止めて、教育制度も限定した。それらの保守的な人々は考えた。家庭を円満に治めるためにも、男子の手足まといになりすぎる程物の道理が判らなくても困るが、余りはっきりしすぎて男が煙たいほ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫