・・・ それほど無政府主義が恐いなら、事のいまだ大ならぬ内に、下僚ではいけぬ、総理大臣なり内務大臣なり自ら幸徳と会見して、膝詰の懇談すればいいではないか。しかし当局者はそのような不識庵流をやるにはあまりに武田式家康式で、かつあまりに高慢である。得・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・之を政治上に喩えて言わんに、妻が内の家事を治むるは内務大臣の如く、夫が戸外の経営に当るは外務大臣の如し。両大臣は共に一国の国事経営を負担する者にして、其官名に内外の別こそあれ、身分には軽重を見ず。然らば則ち女大学の夫に仕え云々の文は、内務大・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・末次内務大臣は、大学専門学校等の周囲三百米から喫茶店、ビリヤード、マージャン等の店を撤廃するように命じ、従来の自由主義的な学生の取締方法を変更するべきことをすすめた。十二月二十四日の都下の諸新聞は、防共三首都の日本景気に氾濫したニュースと共・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・そのなかの一人である安倍源基は特高課長、警視総監、内務大臣と出世したが、その立身の一段一段は小林多喜二の血に染められ岩田義道の命をふみ台にしている。天羽英二は情報局長としてあんなに人民の言論と思想、文化の自由を根こそぎ刈った。 これらの・・・ 宮本百合子 「事実にたって」
・・・それから人民抑圧の手柄によって、警視総監となり、内務大臣となり、さいごに企画院にゆきました。彼の出世の一段階ごとに治安維持法の血がこくしたたっています。小林多喜二を拷問で殺したのも、安倍源基とその部下の仕事です。岩田義道を殺したのも、上田茂・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
・・・安倍源基という人ははじめ警視庁の特高課長であり、その次は警視総監になり、次は内務大臣になって、それから企画院に入った人です。その間に日本の私達人民の自由と文化とは、どういう目にあったでしょう。小林多喜二を殺したのは安倍源基とその配下です。岩・・・ 宮本百合子 「平和運動と文学者」
・・・そして更に時の首相陶庵公が序文を附したゾラの一訳書が、西園寺内閣の内務大臣によって発禁されたこともあった」 当時「文芸委員会」の委員であった諸氏の内には、もとより混り気のない心持で、日本の美風良俗をいかがわしい自然主義の傾向から守ろうと・・・ 宮本百合子 「矛盾の一形態としての諸文化組織」
・・・という声明が、内務、司法、商工、厚生四人の大臣によって、発せられたのである。新聞を一枚でも読む人は、このような取締方針を布いて、生産に従う人々が生産を高めようとするために、企業家に対してとる必要な行動を統制している権力が、たった一つも資本家・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫